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素晴らしい風景写真 (No.2078 15/08/22)

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 本日のワシントンポスト紙、電子版を見ていたら、Travel Photo Contest 2015 winners というタイトルで、旅で撮った写真コンテストの優勝者の作品が載っていた。
 2015年の優勝者はデラウエア州ルイスのディック・スナイダーさんがオレゴン州キャノンビーチという所で撮った日本画の墨絵のような素晴らしい風景写真(上)である。オレゴン州キャノンビーチという場所がどこにあるのか知らないが、オレゴンだから太平洋の海岸だろう。太平洋で発生した霧が、オレゴンの山肌に入り込み、逆光になった黒い山と白の見事なコントラストで表現されている。
 この写真はどのようにして撮られたのだろうか。スナイダーさんはデラウエア州ルイス、すなわち米大陸東海岸に住んでいるようだから、西海岸のオレゴン州キャノンビーチを熟知していたわけではないだろう。たまたまキャノンビーチに旅行してきたら、絶好のシャッターチャンスに恵まれた。その与えられたチャンスを彼は自分の能力で最高の状態まで仕上げたのである。
 優れた風景写真を狙っている人の多くは、自分が撮りたいイメージを頭の中に描いていて、撮影ポイントや適切な時間、光線状態など調べて、最高と思える瞬間にシャッターを切っている。しかし、実際にはどんなに緻密な計画をたてて行っても自然は自分の思うようにはならない。浅はかな人間の考えなど及ばない深さで自然は刻々と姿を変えてくる。撮影者はその微妙な瞬間を自分のイメージと結びつけて撮っていくしかない。ここにカメラマンとしての能力の差が出るのである。
 写真はいい瞬間に出会って良い(つまり高い高級な)カメラでシャッターを押せば、誰にでも同じように撮れるというのはまったく間違いである。ただ写っているだけのものなら誰でも撮れるが、人に感銘を与えるような写真は、カメラマンのセンスというか、イメージを持っていないと撮れない。ともすれば最近の人はプロが使うような高解像度のカメラを持てばすぐに傑作が撮れると思いがちだが、それは幻想である。
 スナイダーさんが撮影したところにはおそらく別なカメラマンもいたことだろう。しかし、この作品をものにしたのはスナイダーさんである。彼は出現してきた自然を自分のイメージにまで昇華する力があったからこのような作品を仕上げることができたのである。
 私も常々このような写真を撮りたいと思っているが、現実的にはうまく撮れたためしがない。今日の良い写真を見て、自分ももう少し頑張ってマシな写真を撮りたいと思った。カメラの性能やシャッターチャンスに頼るのではなく、自分のセンス、スキルを磨こうという思いを強くしたのである。
# by Weltgeist | 2015-08-22 23:59

隠されている必然性 (No.2077 15/08/13)

 スピノザはすべての事物は必然性によって存在しているとエチカ(第一部定理29)の中で言っている。そうすると私がこれから出会うすべてのこともすでに必然性から決まっていたことになる。明日車で出かけて交通事故にあったり、数日後に脳梗塞で半身不随になったり、宝くじを買ったら7億円が当たった、なんてことが必然性としてずっと以前、すなわち私が生まれる前から決まっていたことになる。偶然そうに見えても全部必然だというのである。
 私は運命というものを信じる決定論者の一人ではあるが、スピノザのこの考え方は少しやり過ぎではないかと思う。なぜならもしそうなら、善悪を決める判断基準がなくなってしまうからだ。すべての物事はすでに決められた路線を歩んできた結果とすれば、悪いことをしても罪を問われることは理不尽となる。世の中には悪もなければ善もなくなる。悪党は「俺が悪いんじゃない。悪の原因を作ったご先祖様が悪い」という言い訳が堂々とまかり通ることになるだろう。
 神が天地創造したとき、神の創造物はすべて良いとした創世記の言葉をスピノザは思い浮かべているのだ。だが、もしすべて「良い」ものとしたら、「悪」がなぜ存在するのか。神が造り出したものはすべて良い、善であるという神の善性説とは矛盾することになる。神は悪を造り出せないのだから、能力的に神は全能ではなくなる。神は善だけに縛られた不完全な存在ではないかと無神論者は反論するのである。
 よってこの世に起こるすべては善であるという創世記の主張は間違いと無神論者は言う。神は自由で全能な存在ではなくなるからだ。だが、神は善だけでなく悪をも創造している。たとえばエデンの園でアダムたちを誘惑した蛇だ。創世記で蛇は永遠に地を這う呪われたものとしてやはり神から創造されたと書かれている。すべてが良いならなぜ蛇のような「悪」を創造したのか。
 翻って考えられることは、それでは「悪とは何か」ということだ。神が悪をも創造したとなれば、悪には我々が理解しがたい何らかの意味が隠されているのかもしれない。この世のすべてを解き明かすことができない我々が、現れ出てきたものを簡単に「これは悪だ」と判断することは拙速すぎて危険である。
 何かを掘り起こせば起こすほど新たな知見が出てくる。知は無限の深さがある。むしろ、その中には人知が及ばないような新たな可能性が秘められているかもしれない。それゆえに我々がなすべきことは、常に「善とは何か、これは悪なのか」と問い直し、その裏に隠された意味を探ることである。単純にこれは善、あれは悪と判断すべきでない。あくまでも事物の裏側にある我々には気づかない原因にまで思いを馳せるべきだ。
 どんなに悪い結果に出会ったとしても、その裏にはもっと別な意味があると読み取る事もできる。ともすれば生じてきた悪い結果に消沈しがちな人間にとって、そうした「悪」が深いところでは逆に人間を高める契機になっているかもしれないのだ。それは神が与えた試練と受け止めることができる。そうなら、どんな悪いことでも最後は乗り越えて良きものに至れるはずだ。それこそ神からの隠された意味を持つギフトではないか。果てしなく深く辛い世界の謎の意味を読み取れば苦悩は喜びに変わると私は信じている。
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高い高山の荒れ地に咲く高山植物の女王・コマクサ。草木も育ちにくい過酷な地に可憐な花を咲かせているのを見ると、自然界の不思議なまでの力を感じてしまう。
# by Weltgeist | 2015-08-13 18:34

マンゴーの味 (No.2076 15/08/08)

マンゴーの味 (No.2076 15/08/08)_d0151247_2057448.jpg
 昨日8月7日は語呂合わせで「バナナの日」だったそうである。昔、バナナはたたき売り専門の商品で、昭和40年代まで縁日の安売りで広く売られていた。しかし、それ以前には貴重品で、戦後まもなくバナナが初めて日本に輸入されたとき、父親が私のために買ってくれた。そのとき私が初めてみた外国の果物、バナナの味は忘れられないほどおいしかった。
 その後バナナはすっかり安物になりはてたが、同じ熱帯の果物でもマンゴーの地位は際だっている。宮崎や沖縄産のマンゴーは何と一個1万円もする超高級果物となっているからだ。そもそもマンゴーはインドからインドシナ半島にかけての熱帯果樹で、温帯の日本では露地栽培はむずかしい。それが栽培技術の進歩で、ビニールハウスで育てた国産マンゴーが高付加価値を付けたブランド果実として売られているらしい。
 らしい、と言ったのは私は一個1万円もする国産マンゴーなど食べたことはないからだ。ときどきテレビの旅番組でこうしたマンゴーを試食して「うまーい! 」とわめいているタレントを見て、悔しい思いをするだけである。先行き短い私は死ぬまでそんな高いマンゴーは食べられないで寂しく一生を終わるのではないかと思っている。
 しかし、本来のマンゴーはそんなに高い物ではない。以前オーストラリアで10m以上ありそうな巨木に数百個のマンゴーがたわわになっているのに誰も興味を示さないことを見て「何で? 」と思ったことがある。マレーシアでもそうだったが、こちらでは沢山とれるから安い食べ物なのだ。
 そんな安物を一個1万円にまでつり上げる日本農家の技術力、努力はたいしたものだ。TPPでこれからの日本の農業は厳しい国際競争力にさらされるだろうが、ここまで商品に付加価値を付けられるのだから日本農業はまだ大丈夫な気がする。
 しかし、南方系の安いノーブランド・マンゴーでも味は悪くない。今回は会員制倉庫型卸売小売チェーン・コストコでメキシコ産マンゴー、9個入り(二つはすでに食べてしまって写真では7個しかないが・・)一箱が1300円ちょっとで売られていたので、箱ごと買ってみた。一個に換算すれば百円強とまさにバナナ並の安さである。それでも食べて見たら、マンゴー独特のどろっとした甘さの果肉が抜群においしかった。国産ブランドマンゴーとは9000円以上の差があっても私にはこれで十分満足できている。
 そんなマンゴーだが一つだけ困ったことがある。我が家の同居人(つまり奥さん)はマンゴー大好き人間なのだが、彼女はアレルギー体質で、かぶれやすい。マンゴーは実はウルシ科の果物で、体にマンゴーの果汁がかかったりするとすぐに顔に発疹ができてかぶれてしまう。マンゴーは触ってはいけない物なのである。それなのに彼女は大好きで食べたいのだ。それで私が、果汁が口のまわりに触らないサイズまでナイフで細かくカットして食べさせている。
 ふだん私のだらしなさを厳しく叱る彼女もこのときだけはおとなしくなって、マンゴーをカットするところを遠目で見ている。そうして、長いフォークで一口サイズに切ったマンゴーを慎重に口に運んで食べている。だが、9個もあると、事故の可能性もある。以前同じようにして食べたとき、どこかでマンゴーに触れたらしく、「かぶれそう」とSOSを出したことがあるのだ。
 ひとたびかぶれが発症すればたいへんなことになる。しかし、それでも彼女はマンゴーが食べたいようだ。ノングルメの私には少しおいしい程度の果物にすぎないが、彼女にとってはかぶれる恐怖を打ち消すだけの魅力があるのだろう。いつも彼女に頭の上がらない私だが、残り7個のマンゴーの処理が終わるまでのアドバンテージは私の方にある。何しろ彼女は大好きなマンゴーを手で触ることさえできないのだから。
 
# by Weltgeist | 2015-08-08 22:18

健康体への回帰・白馬岳挑戦 (No.2075 15/07/27)

 昨年の暮れ化膿性脊椎炎という難病にかかって、二ヶ月間入院した。救急車で病院に担ぎ込まれたときはまったく身動きができない体だったが、二ヶ月後の退院時は杖を使えばなんとか30mくらいは歩けるまでになった。30mというのはトイレにようやく行ける距離で、それも杖をついてでなければ無理な「要介護一級」くらいのひどい状態である。
 だが生来の負けず嫌いである私は、退院すると「普通の人と同じくらい歩けるようなりたい」という一念だけでリハビリに心がけた。退院初日は家の中だけで30m歩行。その次の日は家の周囲をわずか5m余計な35mまで歩き、さらに翌日は40m、45m、と少しずつ歩く距離を伸ばしていった。日々の快復がわずかであっても、次第に歩ける距離が伸びていくことに力づけられたのである。こうして頑張れば日ごとに良くなる、きっと普通の人と同じように歩くことができるようになると確信し、リハビリに専念したのである。
 その成果は確実に現れて、3月の末頃には新宿くらいの町歩きは杖に頼らなくても大丈夫となり、5月に入ると家の「前の山」が登れるようになっていた。全然歩けなかった者がここまで快復したことに私は人間の強さを実感した。人間の体は鍛えれば鍛えるほど丈夫になるのだ。病は気から起こる。ともすれば病気の暗さに押しつぶされそうになるところを、私は毎日の成果に明るい希望の光を見いだしたのである。
 6月になると2000m級の山まで登れるようになった。素晴らしい快復ぶりである。まだ万全ではないが、自分は世間の皆様より少し劣る程度まで快復したのではないかと思うようになってきた。しかし、もっと元気になりたい。せめて世間並みの体に戻したいと思う私は、このあととんでもないことを計画したのである。
 今月の初め頃から北アルプスの高山に登ることを密かに考え、それに備える準備とトレーニングを重ねていたのだ。いくつか楽そうな山の中から選んだのは白馬岳である。日本アルプスのなかでは女子供でも登れる初級クラスの山とは言え、白馬岳は3千m弱の高山である。半年前まで杖がなければまともに歩くこともできなかった「半病人」にそんなことができるのか。不安ではあったが、準備を重ねていくうちに何とか登れるのではないかと思い始めた。そして自らの新しい世界への挑戦として、白馬岳登山に挑んだのだ。
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 長野道安曇野インターから信濃大町、白馬村を経由して、白馬岳の登山口である猿倉に着くと朝焼けに輝く白馬岳(2932m)がすぐ目の前に迫っていた。赤いモルゲンロートに照らされた白馬岳は高く、そして険しく見えた。はたしてあそこまで病み上がりの自分が登れるのか自信は揺らぎ始めてきていた。しかし、もう、ルビコン川は渡ってしまった。行くしかないのだ。
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 猿倉荘で登山届けを出して歩き出したのは午前5時半。天気は雲一つ無い快晴で、正面に白馬岳が見えてきた。まだ気が遠くなるほど高い所にあって、あんな所まで自分が登れるのか、次第に自信がなくなりつつあった。
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 白馬大雪渓が始まる白馬尻小屋には1時間20分くらいで着いた。ガイドブックによれば普通のコースタイムで1時間10分とあるから、10分ほどの遅れでまずまずの出だしである。病み上がりでこれだけ歩ければ上等だ、と先ほどまでの不安はどこへやら、妙な自信が芽生えてきた。しかし、山はそんなに甘くはない。その自信はこのあとこてんぱんにやっつけられることになる。
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 大雪渓末端でアイゼンを装着。登山用ストックを延ばしていていよいよ本格的な雪渓登りである。
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 しばらく歩き出すと、雪渓の傾斜が急になってきた。この頃から足が重くなって、登行速度が落ちていく。72歳の爺さん&半病人の横を次々と若い登山者が「お先に・・・」と言いながら追い越していく。若者には勝てない。老兵は静かに道を譲るしかないのだ。
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 白馬岳は女性に人気があるのか若い山ガールが意外に多い。しかし、中年の元山ガール、すなわち山おばさんも沢山いた。これがまた元気で我が輩を容赦なく追い越していく。どうですか、このおばさんたちの力強い登りっぷりは。その歩幅の大きさには圧倒される。
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 ここは大雪渓の中間地点で葱平というのだそうで、高山植物が咲き乱れるお花畑の先に杓子岳(2812m)の岩峰が見える。いまの標高は2200mくらい。ほぼ3分の2くらいは登ってきたことになる。ここまで登れたことは私にとっては上出来だが、すでに疲労困憊していてへとへとな状態である。
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 類は友を呼ぶで、長い雪渓を歩いているうちに同じような境遇の人々が自然と集ってくる。私と同い年の72歳の人と仲良くなって、お互いを励ましあいながら登ってきた。しかし、葱平のところでその人が「足が攣ってもう歩けない。残念だが今回はリタイアする」と言って山を降りて行ってしまった。私も体力的には限界に近かったが、それでもまだ踏みとどまって、山を降りて行く同輩の方を振り返る。するとその背後から白い雲がわき起こってくるのが見えた。朝の好天気が次第に悪化しつつあったのだ。
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 標高2500m付近まで登ると山おばさんたちも休んでいた。しかし、先ほどまで見えていた周囲の山は深い霧のなかに消えてしまい、そのうちに冷たい雨が降り始めた。あわてて雨具のカッパを着込み最後の力を振り絞って再び上を目指す。ここまで来れば山小屋がある稜線まで登るしかないのだ。
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 13時半、ついに日本アルプスの稜線まで登り着いた。ここで標高2750m。普通だと猿倉から6時間かかるらしいが、私は高度差1500mの急坂を8時間で登ったことになる。頂上稜線の標識には右が白馬岳、左は唐松岳とある。白馬岳山頂まではあとわずか登ればいいのだが、ひどい風雨のためとりあえず山小屋に入って一泊して、登頂は明日にすることにした。

 だが翌日白馬岳の山頂に登ることはできなかった。夜半から猛烈な雨となり、私のような弱い人間が高所で行動するのは危険な状態である。残念だけどこれでは無理と判断して、翌日は土砂降りの雨のなかをカメラも出せず(従って翌日の写真は一枚もありません)元来た猿倉まで下山したのである。
 登山という行為は最終的に頂上に登り着いて完結する。しかし、私にとっては白馬岳山頂を極めなくても十分満足であった。今年の初めにはほとんどまともに歩くことができなかった者が、少なくとも北アルプスの稜線まで登ることができた。それだけで十分すぎる成果があったと思っているのだ。これもリハビリを頑張れば体は快復するということを信じたからだ。人は頑張ればきっと努力は報われる。そう思って晴れやかな気持ちで山を降りたのである。
 麓まで降り着いたとき、両足から下半身がまるで自分の体ではないと思うほど疲れていたし、翌日には強烈な筋肉痛に襲われたが、それでも自分は稜線まで頑張れたという誇らしい気持ちで一杯だった。自分にとっては素晴らしいチャレンジを成し遂げたと思っている。
# by Weltgeist | 2015-07-29 10:57

新国立競技場建設とオリンピック (No.2074 15/07/18)

 安倍首相が昨日、突然新国立競技場の建設計画を白紙に戻すと言い始めた。鳴り物入りで決めた新国立競技場の建設費が2520億円と巨額になることが分かって、多くの国民が高すぎると言いだしたからだ。彼はその声を聞いて決断したという。優れた政治家はこうした国民の声をくみ上げて国を導いていくものだから、決断は評価したい。しかし、そうなら、一昨日安保法制関連法案で、国民の80%もの人が「憲法違反ではないか」と疑問に思っていることを無視したのは何だったのだろうか。「もっと時間を掛けて論議を重ねて慎重に結論を出すべきだ」と言う国民の声を無視して強行採決したのは一貫性を欠いている。
 肝心なところでは国民の声を聞くどころか、何が何でも自分の我を通す。与党が呼んだ参考人さえもが安保法制法案は憲法違反だと言っているのに、これを無視して強行採決した首相の気持ちが分からない。
 前の日に強行採決で国民の声をばっさり切り捨てた首相が「新国立競技場建設では国民の声を聞いた」と言っても、受け取る方は何か隠された別な意図があると勘ぐらざるを得ない。白紙宣言についてマスコミ、評論家たちは「安保強行採決で内閣支持率が低下してきたことを、これで目くらませするつもりではないか」と言っていた。
 だが、首相を含めて政府与党政治家たちは一週間ほど前まで、建設費の足り無い分は、本来スポーツを盛んにするための予算を削ってでも作ると言ってきていた。こうした姿勢を考えると、彼らにはオリンピックの根本精神が見えていないと言わざるを得ない。クーベルタンはオリンピックは参加することに意義があると言っていたではないか。単なる箱物を作る方が主で、競技するアスリートはどうでもいいという発想は本末転倒である。
 そもそも今回の新国立競技場の建設費が膨大になったのは、オリンピックが商業主義にスポイルされてお金がかかるようになってきたからだ。最近のオリンピックはクーベルタンが提唱したオリンピック精神の本質を踏み外している。何であんなにお金をかける必要があるのか。先日FIFAでは多数の理事がワイロ授受で逮捕されていることを思うと、オリンピックでも金の魅力に引き寄せられて、甘い蜜を吸おうと目論む闇の利権屋たちが暗躍しているのではないかと勘ぐってしまう。
 オリンピックにお金をつぎ込むことでスポーツが利権がからむおいしいものとなっているのである。何でもお金が一番という発想は東京オリンピック、パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(元総理大臣)が「国がたった2500億円も出せなかったのか」と言って不満を述べているところに端的に表れている。
 お金をかけない地味なオリンピックでいいじゃないか。新たに作り直す新国立競技場の建設費が、せめて前回のロンドンを少し越える程度なら許せるかなぁ、と思っている。
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安倍首相の写真は昨日のテレビ朝日のニュースからキャプチャーしました。
# by Weltgeist | 2015-07-18 23:56