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2013年 04月 22日 ( 1 )

ブログを毎日書き続ける意味 (No.1678 13/04/22)

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 ある人から「あなたはなぜブログを書いているのか」という質問を受けて、正確な答えができなかった。「毎日ダラダラ過ごすのは人生を無駄にするようで嫌だからだ」と一般的な答えをしたが、後になってどうも言いたいことを言い得なかったと感じた。確かに何もしないで一日無為に過ごすのは虚しい気がする。せめて、今日一日何かをやったといえる達成感を感じたい。そう思って馬鹿みたいに毎日ブログを書いてきた。
 その回数、今日で1678回。我ながら自分のしつこさというか、執念深さに呆れている。でも最近、ダラダラと一日を無為に過ごすことも、毎日無理矢理ブログを書くことも、人が生きる意味においてはそんなに違いはないと思い始めている。無為のままグータラに過ごしても悪くないんじゃないかという気持ちが生まれてきているのだ。
 多分、これは小生が歳を取ってきて、「人生なんてしょせんどれも同じ」という気持ちになってきたからだろう。小生のようにセカセカしたせわしない性格の人間は、いつも何かをやっていないと落ち着かない。ヒマができて家でのんびりと過ごす時間があっても、2時間もすると何かをやりたくなる。何もしないで部屋にじっとしていろと命じられたら気がおかしくなってしまうだろう。
 用もないのに用事を見つけてなにかをやり出す。それがたまたま小生の場合はブログだったわけで、たいした意味はないのである。主婦が家事や洗濯を、サラリーマンが会社で仕事をするのと同じ。ただそれだけのことである。
 それなのに人の生き方に「グータラはペケ」、「一生懸命はマル」と価値観の差をつけている。そうなると瞬間瞬間で、「今はマル、さっきはペケ」と忙しく自らを評価していかなければならない。しかし、そんなことも、齢(よわい)70年の古ダヌキになると、馬鹿げた差別に見えてくる。人間のなすことはもっと高い所から俯瞰して見ればたいした差などない。これは良いこと、あれは悪いなどと簡単に決められるわけがない。人生という長いスパンから見れば五十歩百歩で「すべて良し」と思えるようになってきたのである。
 だから何をやってもたいした違いはない。たとえそれが悪いことでもだ。そもそも善悪の判断など人間の狭い基準で決められるものではない。とんでもない悪党が、ずっと後になって評価がガラリと逆転することだってある。しょせんは同じ人間、さして差があると思えないのだ。
 ブログを馬鹿みたいに書き続けることも、何もしないでブラブラ過ごすのも同じように「良し」である。「なぜ毎日ブログを書いているのか」と問うた人に、もう少しこのことを説明すべきだったと後悔している。「なぜ書くのか」と聞かれたら「それは私が生きているからです」と答えれば良かったのである。
by Weltgeist | 2013-04-22 22:52