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2013年 04月 07日 ( 1 )

くったくのない命の輝き (No.1663 13/04/07)

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 一日中いたずらを繰り返して暴れ回る猫のイライは、狭い部屋の間を飛び跳ねて、そこら中の物をぶち壊していく。いたずらっぽい目で見て、あらゆる物を遊びの対象に取り入れて暴れるのだ。しかし全然怒る気にならない。むしろ見ていて飽きないのである。彼はおそらく毎日がストレスもなく楽しくてしかたがないように見える。そんなイライと一緒になってこちらも遊んでいると、自分の殺伐とした気持ちが和んでくるから不思議だ。ペットには人を癒す何かがあるのは間違いないだろう。
 思い出せば、小生も小学校4年生くらいまで、イライと同じように何の心配事もなく毎日楽しく過ごせた時代があった。それが駄目になったのは悩み多き青年(小生にもそう呼ばれる時代がありました・・)を経て大人の自我が芽生えてきたからである。考えなくてもいいことまでグチャグチャこね回すことで、まっすぐな心を日陰に育つもやしみたいにねじ曲げてしまった。
 だが、人間は自ら意識する自己意識を持つことで成長していくのだから、悩むことは避けられない。なぜならこの世の中は自分だけではない。沢山の他人がいて、おのおのの自己意識が押しくらまんじゅうみたいにせめぎ合っているからだ。自分を立てれば相手が立てない。この世は勝つか負けるか真剣勝負の場となっていて、猛烈なストレスが避けられないのである。
 しかし、できることならそんなギクシャクした世間から離れて、もう一度小学生時代の素朴な自分に戻りたい。何も考えずにただ楽しく遊び回ったあの頃が懐かしいのだ。でも、今となっては社会の悪い空気をいっぱい吸い込んだ肺の中は煤で真っ黒に変色している。もう純な子供時代に戻ることは不可能だろう。
 ところが、そうした酸いも甘いも徹底的に噛み分けた方が違った世界が開けてくると先人たちは言っている。苦しき現実を超越して高みに登り詰めれば、その先に素晴らしき世界が拡がってくると言うのだ。ニーチェのツアラトゥストラのように善悪の彼岸まで超越すれば、よどんだ地上のはるか上、成層圏の澄んだ空気が心に溜まった悪しき煤を洗い流してくれるかもしれない。
 しかし、そこに至る道は苦難の茨に満ちている。それを耐えて先に抜け出した人だけが無垢な人生の輝きを味わうことができるのだろうが、小生に限って言えば先ずもって無理である。したがって、イライと同じ子供のような心は永久に持てないと半ば諦めているのである。
by Weltgeist | 2013-04-07 23:56