2013年 03月 31日 ( 1 )

今日はイースター、復活祭でした (No.1656 13/03/31)

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 2013年のイースター、復活祭は今日、3月31日である。小生は都内にあるインターナショナルスクールの教会で行われた復活祭朝の礼拝、洗礼式に参加してきた。
 数日前から寒い日が続いていたせいか、今朝インターナショナルスクールに行ったら、桜の花はちょうど満開を過ぎたところで、まだきれいに残った花と地面に落ちた花びらの絨毯が見事なまでのコントラストを見せていて、とてもきれいだった。
 例年、復活祭の朝の礼拝は、この桜の下でやるのだが、今朝は前夜からの雨が少し残っていて、室内のホールで行われた。寒い思いはしないで済んだけれど、復活祭だけは早朝の冷え切った下で行われる方が本当は雰囲気があるのかもしれない。
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今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
コリント前書、15:20-22


 三日前の金曜日に十字架に架けられて死んだキリストは、日曜日の今日復活したとされる。かってユダヤ教徒たちが子羊などを生け贄の犠牲として奉納することで神に許しを請うたが、神の怒りを消すことはできなかった。そして、究極の犠牲として生きた人(イエス)をささげることで、アダムが犯した罪があがなわれるのである。ひとりの人(アダム)が犯した罪が、ひとりの人(イエス)の死の犠牲で許されるのだ。しかも、イエスは自己犠牲で死にながら三日後によみがえって自らが神であることを人々に証明する。
 キリスト教徒にとってこれこそ最大の奇蹟であり信仰のよりどころである。科学的に考えれば死んだ人間が復活することなどあり得ない。しかし、イエスは復活したと信じる。このことを科学的にどうこう詮索することは、信仰する人にとってはナンセンスであろう。復活を信じるから人は罪の重荷から救い出されると信じているのだ。
 罪を許されて救われたと思う信者たちは、色の付いたイースターエッグを食べて、この日を祝うのである。(左の白い皿に乗っているのはチョコレートです)
 ところで以前から小生は復活祭の語源がユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」からきたものと思っていたら、今日のパスターの話では、初穂の祭り「ヨムハ・ビクリーム」ということから来ているのだという。「日本語のビックリと近い発音だから覚えやすい」と言っていたのが印象的だった。
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 賛美歌合唱と礼拝、Testimony(証、あかし、すなわち自分はどうしてクリスチャンになったか、信者の告白)のあと、この日洗礼を受ける人の信仰告白、洗礼式となる。洗礼は水をかけて罪を洗い清める儀式だが、やり方は様々で、頭に水をほんのちょっとかけるだけのものから、全身をドップリと水に浸す方法まで教会によって違う。
 今日の教会は野外に特別にセットした水槽に全身をドップリ浸けるやり方である。しかし、最初にやったのは生まれたばかりの赤ちゃんの幼児洗礼。幸い雨は上がったとはいえこの寒空に赤ん坊を水に浸けるわけにはいかないと、パスターが頭に少しかけただけ。このあと大人の洗礼では、英語で「あなたはイエス・キリストを信じますか」と聞かれ「ハイ、信じます」と答えた人が「He is risen 彼はよみがえる」と書かれた水槽にドボンと浸けられる。寒い中、頭まで水に沈める豪快なものだったが、プライバシーの関係でこのカットは割愛した。でも、水槽に沈められた人は本当に寒そうだった。
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by Weltgeist | 2013-03-31 23:58