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2011年 03月 10日 ( 1 )

ヘミングウェイ、誰(た)がために鐘は鳴る、その1、戦争の大義名分 (No.997 11/03/10)

d0151247_21425833.jpg リビアではカダフィが自分の権力を守るために国民に銃を向けている。無力な人が殺されるのを見て、国際社会は何とか殺戮を止めることはできないのかと思う。しかし、今の複雑な国際情勢では、うかつに外国の勢力が手を出すことはできないのだろう。イラクやアフガニスタンのように、パンドラの箱を開けたような騒ぎになることを、米国や欧州諸国は恐れているのだ。
 だが、1936年にスペインで起こった内戦のときは、各国から沢山の義勇兵が共和国政府を支援し、ファッシスト、フランコと戦った。「誰がために鐘は鳴る」( For Whom the Bell Tolls / 1940年 ) はその時のことを書いたヘミングウェイの長編小説である。
 物語は人民戦線共和国政府に反乱を起こしたファッシスト・フランコ将軍に対する国際旅団の義勇兵として参加したアメリカ人大学講師・ロバート・ジョーダンの戦争体験である。彼はスペイン山中にある橋の爆破を任務として、ゲリラのグループに送り込まれる。しかし、ここでは主人公が「自由と民主主義を守る」という大義名分を高らかに語ることはしていない。ジプシーや怪しげな人々で構成されたゲリラが、洞窟を根城に愚劣なやりとりをすることや、ときどき起こるゲリラ戦の戦闘シーンを、ヘミングウェイ独特のハードボイルドタッチの文章で書かれている。
 主に短編小説が得意だったヘミングウェイがこの小説を発表するや、たちまちベストセラーとなり、1943年にはゲーリー・クーパーとイングリッド・バーグマンの主演で映画化もされた。映画をご覧になった方も多いと思うが、映画は戦闘の場面より、ゲリラの中にいた美しい娘、マリアと恋に陥るロバートの話が中心に作られている。小生も昔この映画でマリア役のバーグマンを見て、この世にこんなにきれいな女性がいるのか、と思った記憶がある。
 もう40年も前にこの映画を見たのだが、足を負傷したロバート(クーパー)が、追っ手を足止めしてマリアを逃がすために機関銃を構えるラストシーンと、そのときのセリフ「 You are me. We are both. I am with thee. I am with thee now. We are both there,Go! 君は僕でもある。僕たちは一つなのだ。僕は君といる。僕は今、君といるのだ。僕たちはそこでは一緒だ。だから逃げてくれ」という言葉がまだ(多少正確さを欠いているかもしれないが)記憶に残っている。小生はこの映画を見て、「誰がために鐘は鳴る」を英文の原書で読む気になったのである。
 だが、この小説に悪辣なファッシストに対する自由を求める戦士の姿を期待すると失望する。ロバートは志願兵ではあるが、どこかの橋を爆破してファッシストの戦車が通れないようにせよという命令を遂行するだけの、いわば一兵卒でしかない。
 また、小説の中で自由を求める闘いの正当性を声高に主張するわけでもない。むしろ、味方であるゲリラが、捕虜として捕らえた4人の反乱軍兵士の頭を、至近距離から拳銃で撃ち殺す残虐なシーンをも克明に書いている。戦争小説では不可欠な敵の悪辣な行為の告発より、味方の非人間的なことまで抑制された筆致で書いているのである。
 戦争には大義名分があるかもしれないが、実際に戦っている兵士、ゲリラたちにとっては残酷な殺し合いにすぎない。悲惨な状況に心が傷ついたロバートはマリアとの恋に希望の光を見いだすしかなかった。それは、第一次大戦でイタリア戦線に従軍したヘミングウェイの体験を元にして書かれた「武器よさらば」( A Farewell to Arms / 1929年 ) でも同じある。
 「武器よさらば」では主人公フレデリック・ヘンリーがイタリア戦線での軍隊に失望し、イギリス人看護婦キャサリン・バークレイと軍を脱走してスイスに逃げた。フレデリックは「もう戦争はいやだ」とはっきり思いつつ軍隊を脱走する。だが、「誰がために鐘は鳴る」の主人公は自由な意志で戦争に赴くことを志願した。そして黙々と任務を遂行し、橋を爆破、機関銃の機銃掃射をして敵兵を殺す。彼は「Yo maté uno tambien 俺も一人殺したよ」とスペイン語で言って、自らの心に傷を負いつつも、闘いを続けるのである。

以下明日に続く。

東日本大震災が発生したため、誰がために鐘は鳴る、2は、こちらまで延期しました。

by weltgeist | 2011-03-10 22:14