2008年 03月 30日 ( 1 )

肖像権(No.56 08/03/30)

 今朝のNHKニュースで写真家の土田ヒロミさんが土門拳賞を受賞したことを放送していた。土田さんの作品はいつ見てもユニークな視点から撮られていて、能力の高い優秀な写真家と見ていたから受賞は当然だろうし、おめでとうと祝福したい。彼の作品が面白いのは素材に何か特別なものを選んで撮影するのではなく、ごく当たり前に暮らす人々の日常生活をテーマにしていることである。普通の人が見せる何気ない瞬間を上手に撮った質の高い写真を見ると、「あっ、人間にはこんな面もあるのだ」というような新しい発見が得られて、いつも彼の写真を楽しませてもらっている。
 しかし、同じ写真を撮る立場の人間として、一つ心配なことがある。プライバシーの問題だ。例えば、専門のモデルを使った写真とか、タレントの写真集のように元々被写体が撮られることを分かっているものなら問題ないが、市民の何気ない日常生活を知らないうちに撮影することは様々な問題が出てくる。相手が写真に撮られていることが分からないで撮った写真を発表する場合、今のご時世では肖像権、プライバシーの問題にぶっつかる。
 人の表情は瞬時に変わるから、狙っていればきっと面白い写真が撮れる、しかし、それは撮影者や鑑賞者には面白くとも、撮られる側には面白くないかもしれない。人には見せたくない瞬間、撮られて欲しくない瞬間がある。そうしたショットを意図的に発表するのはカメラマンがフェアーでない。人が嫌がるものを強引に発表するのはパパラッチの発想である。タレントの知られたくないプライバシーまで隠し撮りする彼らの「作品」には、しばしば人間性を疑いたくなるものが感じられる。 
 生きた人間を撮影するなら、相手の人権に配慮することは当たり前のことである。土田さんはパーティの写真を沢山撮っている。撮られる方は酔っぱらっている人もいるから、面白がって様々なポーズを取っているが、この写真が後で写真集のような公の場で公表されることまで考えてOKしたのかは分からない。ニュースではこの点は触れられていなかったが、恐らく土田さんは、かなりプライバシーの問題には気を配って撮影したことだろう。プロなら当然の配慮である。
 小生が町でスナップを撮って、仮に写真の使用許可をもらえなかった場合(本当はこうした場合の方が多いのだが)相手が悪感情を持つような写真は選ばないことにしている。もし自分がこんな写真を出されたら嫌だろうな、と感じる写真は使わないように心掛けているのだ。相手に文句を言われるのが心配だからではない。それが被写体になった方への最低限の礼儀であると思っているからだ。もちろん、善し悪しは、撮影者と被写体本人では受け方が違う。こちらはいい写真だと思っても、相手は「こんなひどい顔を使って」と思うかもしれない。しかし、そこまで気にしたらもう何も出来なくなる。
 この問題は非常に微妙で難しい。厳密に肖像権を認めたら、町で不特定多数を狙うスナップ写真は不可能であろう。それだからこそ、人間を撮りたいと思うカメラマンは、相手の立場を考える余裕が必要だ。最近、スナップを撮る人が少なくなっている。だが、人間への愛情があれば、豊かな人間性が発露した写真が撮れるはずだ、という信念を持ってスナップに挑みたいものだ。相手のことを考慮することなく、ただ「受け」だけを狙って撮った写真は、やはりどこかにその卑しさが出てしまう。優しい目で対象を見つめればこの問題は解決の糸口を見いだせるのではないだろうか。
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友人、あるいは同僚と思われる人とお茶を飲んで歓談していたこの人を見ているうちに、急に写真を撮りたくなった。何故この人の顔を写さなければいけないのか、そのときは分からなかったが、自宅で拡大して見たら、この人のヒゲと額のしわに何とも言えない人間の深みのようなものが感じられたから、自分はシャッターを押したのだと思った。D300、レンズ200㎜、ISO1000、F5.6、1/50秒。
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パリで会ったこの子は、小生に興味を示したのか、ずっとこちらについてくる。これはいいとカメラを出したら、めまぐるしく小生の周囲を動き回り、一瞬たりとも止まらない。室内のためISOを1600まで上げたが、1/60秒F5.6というスローシャッターにしかならず、ややピントがぼけている。しかし、ISO1600でもノイズが気にならないD300はなかなかいいカメラだと、気に入った。
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by weltgeist | 2008-03-30 23:59