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第二次(2001ー2002年)イタリアお宝ルーツ探索紀行(その7)フィレンツェへ (No.337 09/02/10)

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2002年1月3日、ローマ→フィレツェ
 今日はローマからフィレンツェへの移動日。フィレンツェ行き列車は10時47分発なので、9時にチェックアウトしてから、ケースをしばらくキープしてもらい、ホテルの目と鼻の先にあるマッシモ宮殿を見学に行く。しかし、ここは彫刻ばかりで面白味がない。小生、彫刻にはあまり興味がないのだ。
 10時にホテルに戻り、バッグをガラガラ引いてローマ、テルミニ駅へ。イタリアの駅は日本と違って改札口はない。だから、キップ無しでも乗車出来るが、無賃乗車が見つかった場合、罰金は高いという。フランスも同じだが、列車に乗る前には黄色い刻印機にチケットを入れると、その日の時刻が刻印されて初めてキップは有効となる。刻印を押して無い場合、検札で見つかれば、無賃乗車とみなされるから、日本から行った人は絶対これを忘れてはいけない。
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      ローマ、テルミニ駅。列車の発着時間とホームが上の電光板に出るが、便数が非常に多いため、発車の直前でないと掲示板に出ない。

 駅の入り口には電光掲示板があり、非常にたくさんの列車の発着時刻とホームが表示される。だが、乗る予定の列車は10時を過ぎても出発ホームの表示が出ない。結局表示が出たのは出発直前の10時半過ぎで、7番ホームという表示に従い座席指定をした7号車の41と42番の席に行く。すると、すでにアラブ系の男が座っているではないか。シートの番号をもう一度確認し直してから、「あなたのシートですか? 」と聞くと、渋々席を空けてくれる。車内は混んでいて、通路にも人が立っているから荷物が置きにくい。大きなトランクは入り口付近の荷物専用置き場に置くのだろうが、泥棒が怖い我々は、座席横の通路まで持ってきているのだ。それでも誰も文句は言わない。良く見ると、他のイタリア人も結構通路に置いているから、日本と同様問題はないのだろうと勝手に判断させていただいた。
 座席は6人が座れるコンパートメントで、上には二段の棚があり、小さなトランク程度はのせられるが、幅がやや狭い。妻の小型スーツケースを一旦乗せてみたが、揺れて落ちたらと思い、諦めて下に降ろす。通路は人がようやく交差出来るくらいの狭さで、折り畳み式の椅子が出るようになっている。席の無い人がその椅子を引き出して座るため、バッグを持って通路を歩くのはちょっと難しそうだ。
 同じコンパートメントには小さな女の子を連れた男と、度の強い近眼の眼鏡を掛けた60歳くらいの尼さん、それに普通の感じのおじさんの6人が同席となる。女の子のお父さんと思われる男は自転車レースに出ていた競輪の選手らしい。女の子に英語で話しかけると、恥ずかしがって返事はしないが、東洋人が珍しいのか、我々には興味を示している。一方の尼さんは、時々バッグから何か食べ物を出してモグモグと食べている。そうして食べながら、我々や子連れ男の方が気になるのか、時々横目でサッと見てはそのあとすぐに、白らばっくれた格好をする。この動作が何か古いイタリア映画に出てくる俳優のようで面白かった。
 列車はゆったりとした丘が連なる先に薄く雪を被った山が見えるトスカーナ地方を走って行く。手前に見える森は日本と似た雑木林だが、葉っぱが枯れたままくっついていて、ちょっと趣が違う。そんな景色を見ていると飽きない。そして、2時間40分後の午後1時半に、フィレンツェのサンタ・マリア・ノッヴェラ駅に到着。以前ミラノから来たときと同じく、向かって左側から外に出て、タクシーでホテルに向かった。
 ホテルはインターネットで予約したラウレスというプチホテルで、前回同様、大聖堂からすぐの場所にある。2時にチェックインを終え、すぐにリッカルディ宮殿に行く。昼食は歩く途中でデリのような店を見つけ、ここでスパゲッティと野菜をセルフで食べたがおいしかった。
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       フィレンツェの中心地、ドゥオーモ大聖堂 ・花の聖母教会(左)とサン・ジョバンニ洗礼堂(右手前)。裏側の細い建物はジョットの鐘楼。

 リッカルディは本当に小さな宮殿で、この中に有名なベノッツオ・ゴッツオーリの「マギの礼拝」があるのだ。前回は休館でこれを見ることが出来なかったので、フィレンツェに着いたら最初に見ようと、予定していたものである。宮殿から狭い礼拝堂入り口を入ると、いきなり目の前に「マギの礼拝」が出てくる。玄関とか次の間などない。本当に入ってすぐの壁一面に壮麗な壁画が「ドーン」という感じで現れ、そのいきなり感に度肝を抜かれた感じがしたのである。
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       この画像はリッカルディ宮殿にあるベノッツオ・ゴッツオリのマギの礼拝の一部分。写真撮影は禁止なので、フリー画像からDLしたものです。
 馬上の人物は金箔をふんだんに使った豪華な衣装を身にまとったメディチ家のコジモやロレンツオが描かれている。何度も画集で見てきたその絵が、自分の目の前にあり、実際にそれを見ているのだと思うと感慨深いものがあった。No.302 でも書いたようにここは撮影禁止で写真は撮れない。仮に撮影出来たとしても、部屋が狭く、バックの引きが取れないからうまく撮影することは難しいだろう。また、入り口の右手にはフィリッポ・リッピの「聖母子」がある。だが、この絵は以前、ベルリンの絵画館で見たものとそっくりである。受付の女性に聞いたら、ベルリンが本物で、こちらはコピーだという。
 念願のゴッツオーリの「マギの礼拝」を見たので、いよいよ本命のサンティシマ・アニュンシアータ教会に行く。ここで改めて我が家の絵のルーツを見るが、構図は似ていても、やはりどこか違う感じである。それでも今回はローマでの実績があるから、それとの関連を調べるつもりでいたが、肝心の絵の周囲に人がいない。数人の信者と思われる人が熱心に祈っているだけで、話を聞きようがないのである。
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サンティシマ・アニュンシアータ教会にあった張り紙。その中に挿入された絵がまさに小生のお宝と同じ絵柄。上から4行目に サンティシマ・アニュンシアータ教会である SS.Annunziata と言う文字が読み取れる。

 だが、やはり来たかいはあった。諦めて戻ろうとしたとき、上の写真のような張り紙を見つけたのである。書かれている内容はイタリア語だからさっぱり分からない。しかし、ここに挿入されている絵は、まさにお宝の「受胎告知」にたいへん酷似した絵なのだ。残念なことにこの挿絵がどのようなものか、聞き出す人がいない。小生、これをカメラに納めただけで、本日はこれ以上の追跡は断念せざるを得なかった。
 教会を出ると、前回見つけた壁画の再確認に向かう。しかし、イタリアの道は非常に入り組んでいて分かりにくく、なかなか壁画のあった場所が見つからない。2年経って記憶が薄れているのだ。それでもダンテの家を目印に探すと、それが残っている場所にたどり着いた。壁画は少し傷みが増した感じだが、照明が付けられて多少手入れもされているようだ。自分にとっては思い出深いものであるが、町ゆく人にも歴史的な財産なのだろう。この壁画を見るのは2年ぶりなのに、まさに500年の年月を経て恋人に出会ったような心境で小生はそれを見つめていたのである。 
 明日は終日フィレンツェ滞在。この壁画も、サンティシマ・アニュンシアータ教会にあったご本尊や張り紙の絵もじっくり調べられる。明日の朝は一番に待ち時間無しにウフィツィ美術館に入館出来るよう予約券(8ユーロ)を買って、ホテルに戻った。
以下、明日に続く。
by weltgeist | 2009-02-10 23:28


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