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自己満足への固執 (No.310 09/01/14)

 寒さがいっそう厳しくなって、外に出歩くことが少なくなった。毎日簡単な歩行運動くらいしないと運動不足で体が鈍り、健康にも良くないだろう。だが、そういうことは重々分かっていても、ついついコタツにはまり込んで、終日家から外に出ないことが多くなってきた。こんなことではそのうち釣りにも蝶の撮影にも行けない体になってしまうだろう。そんなわけで、今日は久しぶりに前の森の散策で体を動かしてみた。
 いつものコースを歩いて行くと、左手の藪の方から人の声が聞こえる。その場所は湿地帯になっていて、端の方に茂るハンノキにはミドリシジミがいるのではないかと密かに目論んでいる場所である。笹が足下を被う細い踏み跡をたどって湿地の前に行くと、沢山のカメラマンがいた。みんな500㎜前後の超望遠レンズを付けて湿地にくる鳥を狙っているのだ。
 以前にも書いたことがあるが、自分は鳥があまり好きではない。鳥の写真はカワセミやスズメ、カモくらいしか撮ったことがないが、鳥が好きな人にはこの湿地は素晴らしいフィールであるらしい。ここに来る人の中には1時間以上かけて来る人もいるという。小生の自宅から歩けば10分もかからず来れる場所なのに、自分は全然それを利用していない。物の価値なんてそんなものかもしれない。人によってそれぞれ大事にする物、欲しい物、価値のある物が違うのだ。そうした多様性があるから、世の中も面白いのだろう。
 正直、鳥の写真なんか撮っても自分は面白いとも思えない。しかし、翻って自分を見れば、蝶の写真を撮って喜んでいる。アユだ、ヤマメだ、イワナの写真がうまく撮れた時も本当に嬉しい。興味のない人から見ればそんな物を撮ってどこが面白いのだ、と思うことだろう。人は様々、興味も様々あってバランスがとれている。日本国民全員が釣りに興味を持ったら、この国の魚は絶滅しちゃうだろう。
 先日銀座ニコンサロンで海野和男氏の「蝶の道」という写真展と講演を聞きに行ってきたと書いた。さすがに海野氏は昆虫写真家の第一人者と言われるだけあって、写真の出来はいい。しかし、それは小生が蝶が好きだからであって、興味のない一般の人にとっては、たんに蝶が写っているだけの写真にすぎず、「それで何を言いたいのだ」と思うのではないだろうか。むかし、釣り友達のプロカメラマンが釣りの写真展を開いた時も同じことを感じた。
 釣れた大きな獲物を「どうだ、すごいだろう」と差し出す写真は、釣りをする人には感銘を与えるかもしれないが、興味のない人には何の感銘も与えない。「こんな写真を撮ってこの人は何を我々に訴えるつもりなのか」と思うことだろう。多様な世の中のごく一部の人にしか受けないのだ。後は自己満足でしかない。
 こんなことを書いていながらも、自分の頭の中ではパミール高原の空を飛ぶアウトクラトールと呼ばれるウスバシロチョウの写真を撮ることを考え続けている。他の人から見たら、単なる白い蝶が飛んでいるに過ぎないものだが、自分にとってはものすごい価値があるのだ。完全に自己満足の世界でしかない。しかし、そうした世界に没頭する時の自分は幸せだと感じている。むしろ、没頭出来る世界が無い人こそ不幸なのだと思っているのである。
自己満足への固執 (No.310 09/01/14)_d0151247_1811684.jpg
鳥を撮影している方から見れば、こういう写真は下の下かもしれない。でも自分はこのカラスが人を小馬鹿にした表情が気に入っている。哲学者風に物思いにふけっていたこ奴は、なぜかこの写真を撮った直後に小生が借りたレンタカーのタイヤを猛烈な勢いでつっつき出した。米国ユタ州ブライスキャニオン国立公園にて。
by weltgeist | 2009-01-14 18:12


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