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初夢について (No.299 09/01/03)

 初夢は1月1日から2日、場合によっては3日の朝までに見る夢を言う。昔から何故か、富士山か鷹、茄子のどれかを夢の中で見ると縁起が良いと言われている。いわゆる「一富士(いちふじ)、二鷹(にたか)、三茄子(さんなすび)」である。だが、夢だからそんなこと思ったって簡単に富士山や鷹を登場させるわけにはいかない。いやいかないからこそ夢とも言える。
 小生、これまで齢を重ねてきたが、初夢で富士や鷹、茄子のたぐいを見たことはない。それだから、自分の人生良いことが無かったのかもしれない。実は昨日の初夢も、何か怪しげな湿地帯に足を取られながら息を切らせて歩む不吉な夢だった。おぞましいゾンビ風なので、あえてここで書く気にはなれないひどい夢であった。

 若い頃、フロイトに少しかぶれたことがある。「夢判断」を読み、自分の深層心理の底に潜む未知なる欲望を知りたいと思った。自分が意識している心の底にもう一つの自分が隠れるようにいて、気が付かないところで自分をコントロールしている。そんなフロイトの理論は画期的で、目を見張るような斬新さを感じた。しかし、その後フロイトの理論はあまりに機械的 ( 何でも原因をセックスに結びつけてしまう ) だとして批判の対象となり、今ではすっかり人気もなくなってしまった。
 夢は我々の意識ではコントロール出来ないもう一つの意識、無意識の活動であり、何かドロドロした不可解な世界である。夢の中では自分は時間や空間の制約を超えて、自由に飛び回る。そこに現実とは違う異次元的な面を見いだすのだろう。だが、そんなだから時々夢の中にとんでもない啓示が示されたりすることがある。
 そのような啓示を受けた夢の例で思い浮かぶのは、創世記28章で書かれた「ヤコブの夢」だ。アブラハムの子、イサクの次男として生まれたヤコブは、策を弄して長男のエサウから長男の権利を騙しとるだけでなく、目が見えなくなった父親イサクをも騙す。父親イサクに毛深い長男エサウと思わせるため、毛皮を巻いた手を触らせて長男の権利をだまし取るのだ。だが怒ったエサウから逃げ出したヤコブは荒野で寝ているとき、天使たちが天国に架ける梯子を上り下りしている夢を見る。
 このシーンをホセ・リベーラ(下の写真参照)やブレーク、シャガールなどが描いている。だが、凡人に分からないのは悪いことをして逃げている男の夢に神が出てきて「わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。・・わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行ってもあなたを守る」( 28 ・13-15 ) と言うことだ。指名手配されて逃亡中の悪党が夢で「お前に日本国の全てをあげよう」と言われるようなもので、本当ならすごいことである。ところが、そんな夢で神から約束されながら、ヤコブは嫁さんの義父に20年間も騙され続けるのだ。美人で気に入った娘ラケルを嫁に欲しいと言うと「7年間まじめに働いたらやろう」と言われながら、7年たったら約束を破って姉のレアをよこす。話が違うではないかと言うと「我が家のしきたりでは姉の前に妹を先に嫁に出すわけにはいかない。ラケルが欲しければもう7年働け」と言われ、その後また7年働かされる。だがそれでも駄目でさらに4年間余計働かされ続けるのだ。神は全てを与えると言っても、簡単には渡さないのである。そして苦節20年を経て、ようやくレアとラケルの二人の妻と子を連れて故郷に戻ることが出来るようになる。だが、彼は沢山の羊を連れた金持ちになってエサウが待つ古里に戻る途中で、再び、幻影を見るのである。
 家族や羊が先に渡った河原に一人取り残されたヤコブの前に神の使い(天使)が表れ、彼と一晩中格闘するのだ。しかし、ヤコブは強かった。神の使いに負けなかったのである。彼の実力を認めた天使は「あなたの名はもうヤコブとは呼ばない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人として戦って勝ったからだ」( 32 ・28 ) と絶賛し、「イスラエル」という名誉ある名前までもらう。しかし、そう褒めておきながら、その一方で神は彼の股の間接を外した障害者にもしてしまうのだ。
 こうして、イスラエル人は神と戦って勝った勇敢な民族として始まるのだが、それ以来、「イスラエル人は今日まで股のつがいの上の腰の筋肉を食べない」(同31 ) ようになるのである。
 夢の中に神が登場してくること自体すごいことだが、イスラエルの起源は「この地をあなたと、あなたの子孫に与える」というその夢から始まったのである。そして神にも負けない強さがあるとのお墨付きをもらったイスラエル人の伝統は今も生き続け、今日もガザ地区に爆弾の雨を降らせているのだ。だが、イスラエル人は一つ重要なことを忘れている。ヤコブ、すなわち改名してイスラエルと呼ばれるようになった彼の股の間接は外されていることだ。イスラエル人の行動には常に制約があることを忘れてはならないのだ。
初夢について (No.299 09/01/03)_d0151247_22575439.jpg
ホセ・リベーラ 「ヤコブの夢」 1639年作。マドリッド、プラド美術館所蔵。

あるところに着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。
彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
そのうちに彼は夢を見た。
見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。
その頂は天に届き、
見よ、神の使いたちがそのはしごを上がり下がりしている。(創世記28 ・11ー12 )

by weltgeist | 2009-01-03 22:58


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