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車無しの生活が始まった (No.266 08/11/30)

 今朝、所用で車を運転していたら、急に車の床下からすごい音がしてきた。すぐに思い当たったのは、数日前に大きな石に正面から乗り上げるようにぶっつけてしまったことだ。ぶっつけた直後に確認したら、バンパーの下がへこんでいたが、走行に異常を来すようなことはなかった。それほどスピードを出してぶっつかったわけではないので、たいしたダメージはないだろうと思い込んでいたのだ。
 それが今日になって急に床下がゴトゴトと音がするようになったのである。慌てて車を停めて下をのぞき込むと、バンパーだけでなくその先にあるオイルパンカバーまでいかれて、下に垂れ下がって地面と接触している。自分が想定していたよりかなり事故のダメージは大きかったのである。
 これは駄目だと、すぐにホンダに持って行くと、今日は日曜日で板金の程度が不明だが、シャーシーまで変形しているようなので修理代は相当行きそうだと言う。メカニックが言うには、今までの経験だと最大で40万円まで行く可能性もある、と言われてしまった。ホンダフィットの車両価格は150万弱だったから、本体の3分の1強の修理代がかかるわけである。たいした事故でもないからせいぜい数万円程度と思っていたら、あまりの高さに今更ながら驚き、ショックを受けてしまった。
 おかげで、明日は一週間ぶりに釣りに行こうと計画していたこともフイになってしまった。それどころか、明日からどこへ行くにも公共交通機関を利用しなければならない。ちょっとぶっつけただけで40万円というのも痛いが、足が無くなったというのは、交通不便な郊外に住む人間にはもっと堪えることである。しばらくの間は我慢するとしても、バスもなく歩くと片道30分以上かかる図書館などどうしたらいいのか、考えると気が重くなってしまう。
 しかし、この機会に車の無い生活ってどんなものか、ちょっと考えてみた。思い出して見れば、自分が結婚した34年前は、7年間ほど車を持っていなかった。というより車を持てるほどの身分ではなかったのである。その頃の小生はほぼ毎週のように釣りに行っていたので車は必需品だったが、それでも不思議と不便は無かった。たいてい誰か仲間が乗せてくれたからだ。それに都内JRの駅から5分くらいの場所に住んでいたので、車の必要性も感じなかったのである。
 この7年間は自分の場合、車を持たないことで経済的にかなり救われた。それが7年目に最初の中古車を買ったら、急に維持費などの出費が増えて生活が苦しくなってしまったのである。それなのに、最初の中古車ではすぐ物足りなくなり、ガソリン・モロ食いのハイパワー高速車をほぼ3年周期くらいで買い換えるようになってしまった。リタイアする直前には、車を維持するために仕事をしているのではないかと思えるほど高額な車まで買い込み、時々カミさんから愚痴を言われたりしたものである。
 しかし、もし34年間ずっと車を持たなかったとしたらどんな風になっていたろうか。車に投じたお金を他に回せたから、随分生活の余裕度が違ってきたのではないかと思う。そう考えると、どこまで車の必要性はあるのだろうか、と思ってしまう。
 フィットがいつ直ってくるか分からないが、これからしばらくの間、車無しの生活が自分自身にどう影響してくるのか、一種の実験状態であると思っている。歳をとればいずれは車を手放す時がくる。その前哨戦を早くもさせられるわけである。「それであなたは車を手放しても大丈夫ですか」と聞かれたら、自分はどう答えるだろうか。自分自身でも興味津々である。
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タイ・バンコックの町はまだオートバイが全盛であった。車を持てなくなるなら、こんなオートバイも悪くない。ただし、それは元気な若い人の話。小生のような人間にはきついから、やはり車は手放せないのではないかと思う。
by weltgeist | 2008-11-30 23:20


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