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野良猫の運命 (No.211 08/09/20)

 新宿へ行くと、必ず立ち寄る所がある。西口ガードの入り口にあるペットショップだ。小さな店だが、人気はたいへんなもので、都内の猫好き、犬好きの人はたいてい知っている店ではないかと思う。いつ行っても沢山の人が店頭に置かれたオリの中に入っている子猫や子犬を見ている人気スポットなのだ。ここで売られる子猫を見ていると、時間を忘れるほどで、本当に楽しい気持ちになってしまう小生お気に入りの場所でもある。
 前にも言ったように、小生は猫好きだから、猫を見るのも触るのも大好きである。子供の頃から家には猫がいて、彼らとともに育ったと言ってもいい。そうした猫好きの性格は大人になっても変わらない。実は、大学院に進んだ事で親に勘当され、一人で学費と生活費を稼がなければならなかった貧乏時代も猫を飼っていたのである。
 新宿牛込柳町の狭いアパートの共同トイレに行って、戻ってきたら子猫が勝手に部屋に入っていて、翌日釣りに行くつもりで買っておいたヤマメ釣りのエサのイクラを盗んで食べていたのだ。損害は軽微とはいえ、金のない学生だったからエサを食われてしまったのは痛い打撃である。だが、この猫、どこか憎めないところがあり、その後アパートの管理人に内緒でずっとエサをやり続けていたのである。
 アパートから100mも行かない所には、夏目漱石の「我が輩は猫である」を記念した「猫塚」があった。小生が「ミー」と名付けたこの猫は野良だが、場所が場所だけに日本文学史上最も有名になった由緒ある猫の血を受け継いだ末裔だと今でも信じているのである。
 だが、一人暮らしの学生が猫を飼える訳がない。ミーは小生が大学やバイトから帰って来る頃になると決まって窓の下にやって来て「ニャー」と泣いてすり寄ってくる。その頃はペットフードなんて無い時代だから、自分で炊いたご飯にみそ汁をかけた、いわゆる「猫まんま」をあげていたが、それでも彼はなついてくれた。
 そして、半年ほど経ったとき、オヤジに内緒で息子の様子を見に来たオフクロの膝の上にちゃっかり乗ってお世辞を使い始めた。きっとミーはオフクロが小生よりはるかにいい食事と待遇をしてくれる人と思ったのだろう。彼の営業活動にすっかりはまったオフクロは「この子、かわいいね」と言って実家の養子にする決心をした。不肖の息子、小生が駄目だからせめてこの猫だけでもと思ったのだ。ミーはホームレスから一応家持ちの身分に出世したのである。だが、5~6年ほどたったとき、彼は実家の掘りごたつの中で一酸化炭素中毒で死んでしまった。
 動物を飼うのは楽しいし、心が癒される。しかし、必ずやってくるのが、死の問題だ。結婚してから、3匹の猫を飼ったがいずれも我々を残して先立ってしまった。その時の悲しさがあるから、もう一度猫を飼う決断がつきかねているのである。それに猫がいると旅行にも行けない。以前ペットホテルに預けて、10日ほど旅行して戻ってきらた性格が変わって、手をひどくかみつかれたことがある。恐らく、狭いオリの中でひどい扱いを受けたのだろう。そのストレスをかみつくことで解消しようとしたのだと思う。
 そんなこんなで、現在、我が家は猫不在である。だが、良くしたもので我が家が猫好きな家と分かるのか、時々野良猫がやってきて、庭を徘徊していく。ただ、人間に慣れていないから掴まえて抱くことができない。近づくと警戒して逃げてしまうのだ。しかし、それだけ警戒していても、野良猫が生き抜くのは難しい。我が家に一番多くやってきた「ヒナちゃん」が、先日交通事故で死んでしまったと、今日聞いた。ほんの2週間ほど前に見たばかりなのに、もうその姿を見ることはできないのだ。その前にきていた「茶虎」も車にはねられて怪我した所を保健所の職員に連れて行かれてしまった。
 野良猫の世界は想像以上に厳しいのだ。ちなみに、野良猫のことを英語で何と言うかご存じだろうか。Stray cat (ストレイ・キャット=さまよえる猫)である。厳しいフィールドをさ迷いながら生き抜く彼らはいつも辛い運命と背中合わせで生きているのだ。
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ヒナちゃんに代わって、我が家に来るようになった野良猫「尾無し」。ちょっと抱いてみたいが警戒心が強く、ガラス戸を開けると逃げてしまう。しかし、我が猫額庭を自分のナワバリと思っているのか、時々やって来ては「ここは俺のシマだぞ」という態度で、あちこちにマーキングをして行く。外に住んでいても我が家を自分の家と思っているのだ。
by weltgeist | 2008-09-20 20:37


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