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マルティン・ルターその3、宗教改革の意義 (No.206 08/09/15)

マルティン・ルターその3、宗教改革の意義 (No.206 08/09/15)_d0151247_937337.jpg ベルリンから車で2時間も掛からないところにある静かな大学町、ビッテンベルグの無名の修道士、ルターが1517年に始めた宗教改革は、あっという間にドイツ全土に拡がって行った。それは広大な土地を所有する領主とくっついて封建的な階層的秩序堅持の役割を演じたカトリック教会への民衆の反発が強かったからだ。だから、改革の運動は必然的に過激化して行かざるを得なかったし、ルターのような過激な人物の出現を歴史は待ち望んでいたとも言えよう。
 そこにエラスムスのような温厚な人間が「もう少し節度ある態度を」と言う言葉吐いたことは、ルターにとっては改革運動を妨害する行為以外の何物でもないと思ったのは当然である。しかし、賢明なエラスムスはルターの狂暴な性格を見抜いていていた。そして、改革はエラスムスが予想した通り、多くの人たちが殺される血なまぐさい戦争となる。だが、ルターの激しい性格はエラスムスの忠告を無視するどころか、恨みにさえ思い、血なまぐさい闘争の嵐の中をどんどん突き進んで行くのである。
 改革は手ぬるい方法では絶対成功しない。やるなら徹底的にやるべきだ。この運動に反対する者は血で償わなければならない、ルターはそう確信していて、一切の妥協を排したのである。しかし、改革のすさまじさはルターが想定していたものよりはるかに過激となる。各地で繰り広げられる血なまぐさい事件に、時には恐れさえ感じるようになるのだ。そして、かってエラスムスを日和見主義的裏切り者とした自分自身が、同じように運動を「もう少し節度ある」ものに戻さざるを得ない立場に追い込まれるのだ。
 過激な情念は時に理性のコントロールをも振り切る。そこで「あらゆる革命家が負っているあの永遠の運命が、ルターにも現れ始める。すなわち古い秩序の代わりに新しい物を置こうとした彼もいまや、自分の急進主義がさらに急進的な連中によって追い越される危険におちいる」( ツバイク全集6、エラスムスの勝利と悲劇 P.176 )のである。「ルターは精神的、宗教的な革命だけを望んでいたのに対し、抑圧された農民階級が要求するのは社会革命、それも明らかに共産革命なのである。エラスムスの精神的な悲劇はルターにおいてくりかえされる。ルターがエラスムスのなまぬるさを罵(ののし)ったのと同じように、農民一揆の連中がルターを罵って、”ビッテンベルグの高慢野郎”と叫ぶ」(P.176 )ようになるのだ。
 ルターはここで一時、より穏健的な道を選ぶか迷った節がある。彼は農民階級に対して「汝らの不穏、性急、非キリスト教的な企てを取り繕うために、キリスト者の名前を利用しないように」 ( P.178 )と忠告したりしているのである。しかし、「粗暴な民衆達が耳を傾けるのはもはや彼ではなく、最も多くのことを約束する(超過激派の)ミュンツアー、および共産主義者的な神学者たちの言葉なのだ」(同)
 かくして罵倒した相手と、同じ位置にルター自身が立つことになるのは、歴史の皮肉である。最初、あれほど過激に戦ってきたカトリック教会とは1530年にミュンヘンから60㎞ほどの所にあるアウグスブルグで協議をし、結局はエラスムス的な妥協の産物である「アウグスブルグ信仰告白」Die Confessio Augustana というものを発表する。これはルターの良き理解者であった弟子のフィリップ・メランヒトンがまとめたもので、「カトリック教会を粗暴に挑発することを避け、討論の席でも重要な論点は用心深く沈黙によって回避され」(P.196 )た、一種の停戦協定であった。
 メランヒトンはルターの弟子でありながら、エラスムスの思想にも密かに共感を感じていた男で、彼はこう書いている。「ローマ教皇が我々を突きのけさえしなければ、我々はローマ教皇の権威も、教会の篤信(とくしん)もすべて尊重する」(同)と。これこそまさにエラスムスが提唱した「節度ある態度」そのものである。
 しかし、このことによって、キリスト教を改革して理想的な形態に仕上げるというルターの思いは頓挫する。ルターの改革はローマ教皇庁によるヨーロッパ支配の弱体化と腐敗の追放という点では成果があった。だが、カトリックは倒れることなく存続し、これに対抗するプロテスタントという新たな勢力が対峙したまま、その対立が固定化して行くことになるのである。宗教改革は1555年に「アウグスブルクの和議」Augsburger Reichs und Religionsfrieden が結ばれ、諸侯はカトリックと新教(ルター派)を選択する権利が認められることで終結する。ルターがまいた種はここにプロテスタント派というキリスト教の一派を作るのだが、両派の対立はいまもまだくすぶり続け、統一は完成していないのである。
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マルティン・ルターその3、宗教改革の意義 (No.206 08/09/15)_d0151247_8495621.jpg
写真左 ビッテンベルグ、聖マリエン教会にあるルーカス・クラナッハの「宗教改革三連祭壇画」。この絵は画集で想像するよりはるかに大きな物で、ルターとメランヒトンが円卓を囲んで宗教改革を協議しているところ。写真だと分かりにくいが、豪放そうなルターと、神経質で繊細なメランヒトンが良く描かれている。
右上 ビッテンベルグ、ルター宗教改革歴史博物館。ルター直筆の書簡や新訳聖書の初版本、クラナッハが描いたルターやボラ婦人の肖像画など、宗教改革に関する興味深い展示品がかなり豊富にある。
右下 ルター宗教改革歴史博物館入り口のプレート。

by weltgeist | 2008-09-15 23:57


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