子供の頃、自分は偉大な探検家の話を読むのが大好きだった。未だ文明の光が届いていない未開の地に、勇気と冒険心で飛び込んでいく探検家に憧れたのである。スウェン・ヘディンの「 西蔵探検記」(改造社/1939年、戦後新訳は「中央アジア探検記」筑摩書房/1966)で書かれた西域(今の新疆ウイグル自治区)にある「さまよえる湖、ロブ・ノール、楼蘭」に心をときめかせ、ベーリングがアラスカを見つけた「ベ-リングの大探検」( ワクセル著/石崎書店/1955)を穴の開くほど熱心に読んでいた。そして、大人になったらこうした未開の地へ探検に行き、この目で原始から変わらぬ大自然の世界に分け入りたいと思っていたのである。
これらの探検記の影響で子供の頃から町にいるより自然の中にいる方が好きになった小生は、まず野に飛ぶ蝶へ関心がつながっていった。そして、その後、もっと過酷な自然の中に入りたいからと登山から岩登りに熱中し、さらには源流のイワナ釣りへのめり込んで行く。結局、探検家にはなれなかったが、子供の頃読んだ多くの探検記が、小生の自然に対する接し方の中核を形作り、今に至るまで常に自然と関わりを持った人生を歩んで来たと言える。 沢山読んだ探検記の中で、とくに強い印象を残しているのは、ロシアの探検家、ウラジミール・アルセーニエフ(右の写真)が書いた「シベリアの密林を行く」だ。アルセーニエフはロシア、ウスリー地方の正確な地図作製のためにシホテ・アリン山脈から沿海州にかけて人跡未踏だったタイガに足を踏み入れ、測量をして歩いた。その時の経験を書きつづったものがこの「シベリアの密林を行く」である。この中で彼は一人の有能な現地人猟師と出会い、彼をガイドとして雇う。彼の名前はデルスウ・ウザーラ。40歳代以上の方ならこの名前を何処かで聞いたことがあるはずだ。 黒澤明監督がソ連との合作で造った映画「デルス・ウザーラ」(1975。黒澤映画ではデルスウではなくデルス)がそれだ。黒澤監督はアルセーニエフの探検記の一部、「デルスウ・ウザーラ」をベースに日ソ合作映画を作ったのである。小生、アルセーニエフの原作からこの映画をたいへん期待して見たのだが、映画の方は巨匠・黒澤の表現方法があまりに高度すぎて、何か訳の分からない暗~い映画という印象しか残っていない。 しかし、アルセーニエフが探検記の中で語るデルスウ・ウザーラは自然そのものの生き方をする野生人として、生き生きと描かれている。森深いタイガの密林から熊のように現れた異様な風体のゴリド人猟師に驚いたアルセーニエフは「どこに住んでいるか」と尋ねる。すると男は「わし、家ない。いつも山、住む。火、おこし、テント張り、眠る。いつも猟、行く、家住む、同じ」と答える。これがデルスウとの最初の出会いであった。 アルセーニエフはこの奇妙な猟師をガイドに雇うのだが、デルスウはまさに森の人であり、森に起こるあらゆる事を、わずかな自然の変化から読み取って、アルセーニエフに教える。そのやり方が枚挙に暇がないほどすごいことの連続なのだ。普通なら絶対分からない不鮮明な動物の足跡から、どのくらい前にどのような動物が歩き、いまどのあたりにいるかを一発で指摘し、倒れた木に刻まれた斧の跡から、「春切った。二人の人はたらいた。一人、背、たかい、この人、斧、にぶい。別な人、背、低い。この人の斧、よく切れる」といったことまですぐさま読み取る。そして、空を飛ぶ鳥の様子から「カピタン、雨、すぐくる。とり、ひくい、飛んでいる」と言って、天候悪化まで素早く予測するのである。 圧巻はタイガの中で虎が彼らを狙って後から付いてくる時だ。デルスウは虎の足跡を見つけてこう言う。「見なさい、カピタン。これ、アンバ(虎)だ。彼、わしらのあと、つける。足あと、まったく、新しい。ここに、今いた」と言い、虎が探検隊を狙って付いてくることを知らせる。そして、虎が接近してくると、デルスウは林の方に向かって「よし、よし、アンバ、怒るな。ここはお前の場所、わしら、それ、知らなかった。わしら、いま、別の場所ゆく。怒るな」と大声で話しかけるのだ。 ゴリド人にとって虎は神聖なものであり、決して銃を向けてはならない動物であった。だからアルセーニエフにこう言う。「わしらの仲間、けっして、虎、うたぬ。カピタン、よくこれ聞け。虎をうつ、わしの友人、ない」と。 このような自然の出来事をそのわずかな痕跡から驚くべき精度で読み取り、毎日のようにアルセーエフに教えてくれた探検の仕事も一区切りつく。アルセーニエフは仕事を終えてウラジオストックに戻らなければならない。何度もデルスウの機転で命を助けられたアルセーニエフは、このとき森の人、デルスウと別れるのがつらく、森で生活するのを止めてウラジオストックへ来るよう勧める。するとデルスウはこう答える。 「ありがとう、カピタン。わし、ウラジオストック、行けない。あそこで、わし、なにはたらく。猟に行く、ない。クロテン獲り、これもない。町に住む、わし、すぐ、死ぬ」 森の人、デルスウ・ウザーラは、自然人そのものであり、森と一体化して生活していた。黒澤明監督がアルセーニエフの探検記を読んで、「デルス・ウザーラ」を映画化したくなったように、小生もこの探検記を読んで、デルスウと同じように自然の中での生活に憧れたのだ。デルスウこそ今で言うところの本物のアウトドアーマンだったのである。 日本から欧州に向かう航空路で成田を飛び立ち2時間もするとデルスウとアルセーニエフが歩いた沿海州からウスリー地方上空を通過する。ほんのわずかな時間でこの地域を飛んでしまうが、小生、欧州に行く度に、この上空でデルスウのことを思い出してしまうのである。 右上写真がアルセーニエフ。左の写真は1907年、アマグウにおける探検隊一行。右端がアルセーニエフ、左端がデルスウ。(筑摩書房、世界ノンフィクション全集1より) *昨日は舌の出血で、途中ダウンしてしまったが、本日、医師のの診断で何とか、痛みも止まり、今は元気になりました。ご心配かけました。
by weltgeist
| 2008-08-28 21:48
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