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自然とは、保護とは、人は何をなすべきか (No.170 08/08/08)

 昆虫採集は自然を破壊する。ゆえに禁止すべきだ、という主張が世間一般に広まっていることに昨晩は考え込んでしまった。自然を破壊するというが、どのように破壊しているのだろうか。いやそもそもここで言われる「自然」とはどのような物だろうか。今回は、自分の疑問をすっきりさせる意味でも、少し重いけど、この「自然」ということについて考えてみたい。固い話になって申し訳ないので、この問題に関心が無い方はスルーして頂きたい。
 さて、我々が普通に使う「自然」と言う言葉はどのようなものだろうか。学問の発祥の地であるギリシャの哲学者達は自然が様々なもので構成されていると考えた。最初の哲学者・ターレスは「万物は水から発生し、水に帰る」と言ったし、アナクシマンドロスは「火から出来ている」と、エンペドクレスは「火、水、土、空気の4元素からなる」と自然について考えていた。
 だが、これら素朴な推論にすぎない諸説を、アリストテレスが一つの明確な思想にまとめ上げる。彼は「自然学」の中でエンペドクレスの4元素論を継承しながら、自然の中にあるヒエラルキー(階層)を明らかにし、分類の作業を行う。最初にまず石や土のような非生物と生きた物とを区分する。そして、全ての生き物にはプシュケー(霊魂)があるとした。これは今で言えば生命と同じような意味であろう。さらにこの生き物は動物と植物に細分され、動物は人間と他の動物に分けられる。このとき人間にはヌース(理性)と呼ばれるものを持っていることで他の動物と違い、その頂点に立つことができるとした。
 アリストテレスが確立した人間を頂点とする自然のヒエラルキーは、その後多少変動があったものの、西洋における「自然と人間」の関係の原型を作り上げた。ギリシャの素朴な哲学者達は自然も人間も全て一緒と考えていたのが、人間は自然から離れ、自然界の頂点に立つものとなる。ヌース・理性を持つ人間は自然を支配し、コントロールする存在となるのだ。
 こうして西洋では自然は次第に人間が利用し、支配するする物となっていく。このことは旧約聖書の冒頭にもしっかりと書かれている。「神はわれわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう。そして、彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させようと、おっしゃった」創世記1・26。
 人間は自分たち以外の全てを支配し、そこから生活の糧を得る場と自然を考えるようになるのである。ここにおいて、自然は人間が利用するものであって、人間と自然は別なものと考えられていくことになる。
 だが、人間そのものも自然ではないのか、というギリシャの哲学者と同じ素朴な疑問が生じる。自然は人間と対立極ではあるが、同時に、人間をも包み込む広大なものであるはずだからだ。自然は自然、人間は人間と別々に分けられるような物ではない。人間とて自然の一部なのだ。この発想が西洋では希薄で、自然は人間と対等なパートナーなのだ、という考えがないのだ。だから自然を享受するだけで自然にお返しを与えることをしてこなかったのである。
 以前、カナダ北部のスキーナ川にスチールヘッドという降海型ニジマスを釣りに行った時、周囲の針葉樹林が無惨に伐採され荒れ地になっているのを見てひどいと思ったら、「ここにあった木は君の国に行ったよ」と言われて顔を上げることが出来なかった。また、パプアニューギニア上空を飛行機から見たら、熱帯雨林が消えて赤土が丸出しになった禿げ山が延々と続いていて、破壊のすさまじさに驚いたことがある。
 これらは皆我々が「豊かな生活を享受するために」やったことだが、よその国でやらせたから知らないだけなのだ。同じようなことは他のあらゆる分野で行われている。自然は支配される物だという、人間の奢りの結果、その場所にいた生き物たちは追われ、姿を消していくことになるのである。
 世界中の森林は毎年日本の面積の20%に当たる730万㌶が消失している。マングローブ林の35%、珊瑚礁の20%がこの20年の間に消えたという。国連の発表によればこの数百年で生物を絶滅させる速度は千倍以上になり、毎日150種類以上の生物が絶滅しているというのだ。この原因は全て人間の行為に帰するのは間違いないだろう。
 ここにおいて、昆虫採集が悪だと人を非難する前に、自らなさねばならないことが見えてくるのではないだろうか。潔癖と信じるあなた自身が世界中の生き物を追いやっているかもしれないのだ。昨日、昆虫採集に対する世間の目に何かしっくりしない物を感じたと書いたのは、まさにこのことだ。何度も書くように、我々は自然を食うしか生きる手段はない。しかし、食いつぶすのではなく、自然と共存共栄出来る道を探す努力をすることが必要だろう。昆虫採集にはその道へ至るかすかな道しるべがあると思うのだが、今日もすでにリミットに達したので、この続きは明日また書きたいと思っている。
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先日ウスバキチョウを撮りに行った大雪山の登山道は両側に張られたロープで、人間界と自然界とを仕切っていた。登山道の中はご覧のように沢山の人が歩いて土が剥き出しになっているが、ロープのおかげで左右のお花畑はガードされている。もしロープが無ければ、お花畑はたちまち人間の足で踏み荒らされ、消滅したことだろう。
by weltgeist | 2008-08-08 23:11


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