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福田新内閣は判断停止(エポケー)だ (No.163 08/08/01)

 福田内閣が改造され、新しい閣僚が発表された。その顔ぶれを見て、言いたいことが山ほど出てきた。しかし、ここでそれを言うのは控える。以前、英会話の授業で初対面のアメリカ人と話しをする場合、政治と宗教、それに家族の事をいきなり話題にしないように、と先生から注意されたことがある。政治も宗教も皆個人個人で立場が違うから、話が加熱して気まずい事態にならないため、アメリカ人は上手にそれを避けているのだという。だから、不特定多数の方が読むこのブログで、福田新内閣について早々と感想を述べるのも適切ではないだろう。小生の今の思いは「・・・・?」であるが、とりあえずはお手並み拝見と言うことにしておきたい。
 さて、それでは「家族」のことをなぜ初対面で取り上げていけないのか。「お子さんは何人いますか」「旦那様のお仕事は」と言った質問は日本ではあまり気にすることなく言われている。ところが、離婚大国アメリカでは、初めて会う相手が既婚者なのか、それとも離婚経験者なのか、子供はいるが、離婚相手の方に扶養権があり、今は一人暮らしをしていると言った複雑な家庭環境が分からない。それをつっ突いて、相手に不快な思いをさせたくないという配慮である。
 こうした私生活の中にまで立ち入った話題は、相手がそれを自ら話してきたときだけ、こちらも話す。少し知り合いになったからと言って、こちらから話題にすべきことではないのだ。
 そして、政治と宗教。どちらも信じる力が強くなればなるほど排他的になり、相手が自分と違うものを信じているとなると、ディベートから最後は喧嘩にまで発展することがある。言い合いとなり、嫌な思いをして別れるはめになった人もいるだろう。
 だが、日本ではこうしたこと対する配慮がアメリカほどなされてはいない。小生も学生時代は政治について、口から泡を吹く勢いで友人と議論をしたことが何度もある。若いから考え方もラジカルな方に走りやすく、それが友人との距離を拡げさせたりする。しかし、若者は議論が終われば元の友人に復活する。いつまでも恨みを抱いて、ウジウジとしないものだった。
 一方、やっかいなのは宗教だ。神、絶対者に対する信仰で固まった人は強い反面、頑固で妥協を許さないからだ。小生、大学2年生の頃から、禅に興味を持ち、以来、7年間ほど熱心に禅寺に通って参禅に励んだことがある。そのとき、ある新興宗教を信じる青年の一団に取り囲まれ、頭ごなしに「お前がやっている座禅は邪教の教えだ」と罵られたことがある。このときはさすがにムッとした。そして、早々と人の進む道に断定を下すことの危うさを学んだのである。
 物事を判断する場合、それがどのような基準で「正しい」とか「間違っている」と思ったのか、できるだけ熟慮してからやらないと道を誤ると思ったのだ。フッサールの現象学的に言えば「エポケー=判断停止」である。自分の考え、判断を一旦カッコの中に入れて吟味し、十分妥当性があると思えるものだけを判断していく。
 これが簡単そうでいて実に難しい。とくにせっかちな自分は、見たもの、感じたものをすぐに直感的に判断し、あれこれと間違った言葉をまき散らす悪い癖がある。今回の福田内閣に対する評価は、同じ轍を踏まない意味でも、もうしばらく「判断停止し、カッコの中に入れて」置くつもりだ。
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by weltgeist | 2008-08-01 20:58


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