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アゲハ幼虫の死(No.132 08/06/24)

 今朝起きたら、ボールペンに止まっていたアゲハチョウの幼虫が蛹になっていた。多分夜の間に幼虫時代の皮を脱ぎ、蛹に脱皮したのだろう。だが、今度の蛹は前のと違って緑色をしている。同じアゲハチョウでなぜ色が違うのか。ネットで蝶のことを扱うサイトにアクセスして調べたら、周囲の色に合わせて茶色か緑の目立たない保護色になると書いてあった。前の蛹はバケツの中だから茶色、今回はオモトの葉の近くだから緑になったのだろう。
 ところが、昼過ぎにとんでもないことをしでかしてしまった。緑色の蛹も記録しておかねばと、カメラで何枚か写真を撮った後、鉢を少し動かしたら、鉢に刺してあったボールペンが突然抜けて床に落ちてしまったのだ。一昨日は、オモトの葉に幼虫を誘導するブリッジの役目しか考えていなかったから、鉢にしっかり刺しておかなかったことを忘れていたのだ。
 慌ててボールペンを拾い上げると、落下のショックで蛹の尻がペンから外れ、ブラブラしている。そして、蛹の中央付近に傷が付き、そこから体液が飛び出しているではないか。鮎釣りなら背掛かりで少々ハリ傷が付いた程度は平気だが、蝶の蛹はちょっとした傷でも致命傷になるだろう。これはたいへんなことをしでかしたと思ったが、もう後の祭り。蛹は微動だにしない。恐らくこの事故で死んでしまったのではないかと思う。
 幼虫が我が家に来た直後は、嫌な臭いを出す虫で、馴染めないところがあった。ところが、山椒の葉を食べさせるうちに、何故か愛着が湧くようになり、この虫が蝶になるところを見てみたいと本気で思い始めていたのだ。それが、小生の不注意から彼を傷つけ、殺してしまったかもしれないのである。
 たかが虫けら、一匹、二匹死んだところでどうってことない。今まではそう思っていた。だが、自分はほんの数日の間だけだが、彼のために餌を与え、いつ蝶になるかを彼と共に待ちわびていた。それが死んで、もう実現不可能となってしまったかもしれないのである。不注意から彼の未来を失わせた自分はなんと罪深いことをしたのだろうか。虫けらとて命はある。小生は、昨年死んだ我が家の飼い猫・ケーちゃんの時と同じくらいショックを感じ、今日の午後は気持ちがひどく落ち込んでしまったのだ。
 もう少しで蝶になって自由に空を飛び回れると思っていた幼虫にとって、その死はさぞかし無念なことだったろう。虫が死のうが生きようがどうでもいいことと考えていた自分は、自然の営みの中で同じように必死に生き抜いている無数の生き物がいることを彼の死で気付かされた。例え小さな虫でもそれぞれが大切な命を持っている。その命が失われたことで、生命の尊厳さを改めて教えられたのである。
 可哀想なことをした幼虫の望みは叶えられなかった。大空を飛翔する楽しい生の最終段階に行き着くことなく、この世から退出して行かざるを得なかった彼に、「申し訳ないことをした」と、深いお詫びの言葉を捧げたい。今はそんな悲しい気持ちでいっぱいである。
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この写真はボールペンが落ちて蛹が傷つくほんの数分前の蛹の状態である。この後の傷ついた蛹の写真も撮ったが、それは可哀想でとても公表する気にはなれない。
by weltgeist | 2008-06-24 22:25


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