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狂気の時代の残滓(No.84 08/05/01)

 旧東ドイツ、ドレスデンの西にワイマールという小さな町がある。ここは町の大きさに比して歴史上極めて重要かつ有名な町である。かってゲーテやシラー、リスト、カンディンスキーなど多数の芸術家が住み、また、ナチが台頭する以前にワイマール共和国があった場所でもある。
 小生がこのワイマールに行ったのは、そうした文化的なことに惹かれただけではない。トーマス・マンの小説「ワイマールのロッテ」を読んで、強い興味を持ったからでもある。ゲーテが「若きウエルテルの悩み」で恋した永遠の乙女・ロッテが、年老いてゲーテと再会するためこのワイマールにやってきて、町中が大騒ぎになるというストーリーをマンが書いている。その舞台となったホテル・エレファントが今もワイマールに健在であるのと、小生の大好きな画家、ルーカス・クラナッハが臨終を迎えた町であったこともワイマール行きを決めた理由になっている。
 だが、ワイマールに着いた時、自分が想定していたのとは全く違う事柄を町の観光ガイドブックで発見した。郊外にナチが作った「ブーヘンワルト強制収容所」(KZ Buchenwald・ブーヒェンワルト)があることが分かったのだ。アウシュビッツがポーランド、ダッハウがミュンヘン郊外にあることは薄々知ってはいたが、ブーヘンワルトがこのワイマール郊外にあることは全然知らなかったのである。
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 ワイマールからチューリンゲンの森の中を車で15分も走ると、突然、広大な空き地が現れてきた。ここがユダヤ人大量虐殺をしたナチ戦争犯罪の現場である。森の中にひっそりと隠されるようにあった強制収容所は、入り口の門(上の写真)と、死体焼却場(下)などが残されているだけで、ほとんどの建物は壊されて公園のようになっていた。ユダヤ人が悲惨な状態で閉じこめられたバラックはもうない。恐らく解放以前、ユダヤ人たちは想像を絶するような悪環境のもとに拘束され、殺されていったのだろう。今はそうした衝撃を感じさせるものは、わずかに残された上の死体焼却場や当時の写真と遺品が展示されているだけである。何も知らなければ、かってこの場所にそのような地獄があったことなど分からないほどだ。
 ここで思い出すのは「ブーヘンワルトの魔女」と呼ばれた収容所所長の妻、イルゼ・コッホだ。人間とは思えぬ残忍さでユダヤ人を虐殺し、人の皮でランプをのシェードを作った話は有名だ。だが、関心するのはドイツ政府はこうしたナチの犯罪を徹底的に追求し、周辺諸国に心からの謝罪をしたことだ。
 2005年4月、ブーヘンワルト強制収容所解放60周年記念に時の首相、シュレーダーは「ナチの大量殺人と戦争犯罪を思い起こすことは、われわれの国民的な存立基盤であり、道徳的義務だ」と表明している。それは今なお、ブーヘンワルト強制収容所をこうした歴史的負の遺産として保存しているところにも良く現れていて、日本のように曖昧な反省で済まそうとする態度とは全く違う感じを受けた。
 だが、戦争犯罪を徹底的に反省したはずのワイマールの町を歩いていて、もう一つの負の遺産を見つけた。ワイマールがニーチェの歿した地であることは知っていたが、ここに「ニーチェ・アルヒーフ」(Nietzsche Archiv、ニーチェ資料館)なるものがあるのを見つけたのである。そして、その中にあれほどドイツ人が反省し、否定したナチが、まだ生きていたのだ。
 梅毒菌で脳を犯されたニーチェは最終的には南米から帰国した妹のエリザベートが引き取り、ワイマールで晩年を過ごした。その場所にアルヒーフは建てられているようだった。小生興味深くアルヒーフの中を見学した。ちょっと暗い室内にはニーチェ直筆の原稿や身の回りの品などが並んでいた。だが、ここで驚くべき物をみつけたのだ。妹エリザベートが、アルヒーフを訪れたヒットラーを出迎える写真が堂々と飾られていたのである。戦争犯罪を反省する原点とも言えるワイマールで、反ユダヤ主義者のエリザベートは、ニーチェの業績の脇に、彼女がヒットラーと並ぶ写真を公然と飾っていたのだ。これには強い違和感を覚えた。
 ニーチェ哲学には「力への意志」や超人思想で、権力志向があるのは否定できない。だが「神の支えを失ったヨーロッパ人はニヒリズムの中で生きるしかない」と彼が言うとき、それは決してアーリア人の優越性を歌うものではなかったはずだ。根本的には民族とか国家といった狭いものではなく、人間全体に対するヒューマンな思いが流れていて、ナチが目指したものとは違うと小生は思っている。そこにエリザベートが関わることで反ユダヤ、反シオニズムに利用されたことがアルヒーフを訪ねて分かったのだ。アーリア人が一番優秀で、ユダヤ人は劣等民族だから消滅すべきと言う、極端な民族主義がナチの狂気を産み、ブーヘンワルトを作った。ニーチェは死んだ後、妹によってその片棒を担がされてしまったのだ。
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 民族の誇り、血の純血という感情は、理性でコントロール出来ないところがある。民族同士の争いは、心の底に自らの民族に対する強い愛国心と、他民族への敵愾心をセットで構築させる。旧ユーゴスラビアのクロアチア、セルビア、コソボの対立、スーダン・ダルフール地方を筆頭にアフリカ各地で頻発する民族紛争など、枚挙に暇がないほど沢山の紛争が起こっている。20世紀が戦争の世紀とすれば、21世紀は民族紛争の世紀とも言える。
 今回、世界中で巻き起こった北京オリンピック聖火リレーのことも、チベット民族紛争が発端であろう。反対運動は、中国人の誇りを傷つけ、一丸となって中国(漢)民族の血を沸き立たせた。中国人の愛国主義が爆発したのだ。中国は愛国主義に燃える多数の留学生を集め、数の力で反対者を押し込めようとした。しかし、これが彼らの意図とは別に、中国の人権問題を際だたせる結果になり、実体の分かりにくかったチベットの状況を世界中に知らしめることにもなったのだ。
 中国は今回のことで大きく威信を傷つけたが、同時に、世界に睨みを効かせる力も得た。民族の圧倒的なパワーで相手を押しつぶせる大国となった中国に、面と向かって反対意見を言うことが難しい状況にまでなりつつある。賛成ならウエルカムだ、だが反対なら力で対抗する。そうなると自由な発言はしにくい。一方が発言力を強めれば、他方の反発も強くなる。各地の民族紛争はこうしたささいなことから拡大していく。自制と寛容で大国中国がこの問題を解決することを希望したい。
by weltgeist | 2008-05-01 23:23


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