アムステルダム国立美術館の至宝と言えば、これはもうレンブラントの「夜警」で決まりである。この集団肖像画の見事さは多くの美術評論家が一致して言うところだ。しかし、小生にはイマイチ納得し難いところがある。光と陰を巧みに使ったレンブラントの絵は深みがあるからもちろん好きだけれど、不思議とこの「夜警」はただデカイだけの絵という印象しかない。評判ほど感動するものを感じないのだ。レンブラントですごいと思うのは、晩年の自画像とか、エルミタージュにある「放蕩息子の帰還」のように、輪郭もはっきりしない、それでいて幻想的な雰囲気が漂う絵のたぐいだ。こちらの方が自分には合っている気がして好きである。特に晩年の自画像で描かれたレンブラントの顔を見ると、「何故この人はこんなに悲しい顔をしているのだろうか」と聞いてみたい気持ちになる。驚くほどの才能に恵まれながら、つらい晩年を過ごさなければならなかったレンブラントの心情が画面ににじみ出ている絵が多いのだ。
それでもアムステルダム国立美術館での一番人気は、やはり夜警である。日本から行くオランダのツアーで、この夜警鑑賞がツアーコースに組み込まれていなければ、文句が出るほどの名画だ。しかし、この美術館での小生の好みは皆さんとちょっと違う。夜警の前に群がる観光客がほとんど来ない最上階の展示室にあるカルロ・クリヴェッリ(Carlo Crivelli/1430-1495)の「マグダラのマリア」(1475年頃、152X45㎝)という絵が小生がたいへんお気に入りなのだ。 右の写真をご覧いただきたい。非常に細長い絵で、実際に美術館の中にある長方形をした他の絵と比べると、ちょっと異様なサイズである。だが、異様さは絵のサイズだけでなく、絵の中に登場する女性の全体像からも感じる。怪しげな顔、右手に香油の壺を持ち、左手は赤いドレスをこれまた怪しげな手つきでつまみ上げているが、よく見るとこの赤いドレスの上にさらに青いドレスを着ているから、二重に着ているのか、それともリバーシブルなのかどちらかであろう。 そして、額の少し上の髪とネックレスについている宝石、左側の髪の毛にある数珠玉のような飾りは、実は描かれた物ではなく、実際の宝石がはめ込んである。また、左腕の付け根の所に松葉のような形をした飾りもこの絵が描かれた板の上に小さな彫刻がはめ込まれているのである。絵と宝石、彫刻をうまく組み合わせ、それが少し離れた所から見ると全然分からないように描かれているのだ。その細密さは驚くほどで、どこからが彫刻なのか、近づいて良く見ない限り全然分からない。 クリヴェリは、ベネチア、ムラーノ島に生まれるが、1457年、船乗りの妻を誘拐した姦通罪で6ヶ月の刑を宣告され、ムラーノ島からパドゥーバに移り住む。その頃、初期ルネサンス最大の画家と言われたパドゥーバ派のアンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna/1431-1506)の強い影響を受けたと言われている。 だが、クリベリのタッチはマンテーニャどころか、この時代の他のどの画家とも似ていない。彼独特の世界を描いているのだ。マリアの顔の表情や仕草を見ればその特異性が分かるだろう。これが今から550年も前に描かれているのである。日本で言えば室町から戦国時代にかけての頃、すでにこんな絵を描いていたのだからすごい。 しなやかな手つき、魅惑的な姿をしながら、強い意志を示すマリアの顔は、このまま現代でも通用する斬新さがある。このような絵は、20世紀初頭、パリで活躍したポーランド生まれの女性画家、タマラ・ド・レンピッカ(Tamara de Lempicka/1898-1980)が登場するまで出なかったのではないだろうか。浅学の小生にはそれ以外の画家は思い浮かばないのだ。 マグダラのマリアはマルタの妹で、キリストの母である聖母マリアとは別人である。彼女は新約聖書にしばしば登場し、キリストの足に香油を塗ったり、十字架に架けられたキリストの磔刑に立ち会う聖女の一人である。多くの謎がある女性で、一部では娼婦だったとか、キリストの昇天以後、悔い改めてマルセーユで伝道活動をしたとの伝説もある。ダビンチコードの作者、ダン・ブラウンは、シオン修道会という秘密結社と結びつけて、マリアをキリストの妻と描いている。こうした謎めいたところがまたこの絵の魅力を高めてもいるのだ。 ところで、アムステルダム国立美術館に飾られているこの絵には悲しい話が残っている。この絵の所有者でドイツ生まれのユダヤ人銀行家、フリッツ・マンハイマーは、ナチスを嫌ってオランダに移住し、そこで銀行を経営していたが、かねてから彼の膨大な美術コレクションを狙っていたヒットラーは裏から手を回して彼の銀行を倒産させる。彼はその直後に急死(自殺とも言われている)。美術品はヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring/1893‐1946年)らの手でタダ同然の値段で強奪されたのである。 ナチ秘密警察(ゲシュタポ)創設者であるゲーリングは、その残忍な性格とは裏腹に美術についての造詣が深く、彼が強奪美術品の管理をしていた。その多くはオーストリア、ザルツカンマーグートの岩塩鉱山坑道に隠されていたという。クリヴェリの絵がここにあったかどうか、小生には分からないが、大戦が終わった後、絵は連合軍の手でマンハイマー未亡人に返却され、その後アムステルダム国立美術館に入った。数奇な運命を辿ったこの絵は、今もアムステルダム国立美術館の最上階で、夜警の喧噪からも、また人間の醜い争いからも隔絶されて、静かに展示されているはずだ。
by weltgeist
| 2008-04-27 23:57
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