大学へ入って初めて学んだ学問に地理学がある。断っておくが、地理ではない、地理学である。小生、子供の頃から地図を見るのが大好きで、中学、高校ともに地理は得意の科目だった。世界中の国々の首都や産物などお茶の子さいさいで言えたものである。だから、大学の授業で「地理学」を履修しても当然初めて習う科目とは思っていなかった。だが、授業初日、教授が次のように言った言葉はたいへんショックだった。「君たちはこれまで中学、高校で地理を習ってきただろう。しかし、これから学ぶのは地理学だ、地理ではない。君たちは地理という言葉を忘れて、地理学を学べ。学だ、学問だ」とわめくように言ったのである。
教授はさらに付け加えて、「どこかの国、例えばサウディアラビアでは石油が重要な産物だ。これは地理の内容だ。だが、地理学から見るとこれは必ずしも正しい答えではない。石油が重要な産物と見なされたのは近代に入ってからだ。それ以前は、邪魔で油臭く汚い泥水としか見なされていなかった。石油と認識し、産物となるにはそれなりの産業の発展、歴史が必要だ。要するに、人間は物を見るとき、単純に物そのものを見ているのではなく、歴史的、経済的な立場から見ている。これは土地も同じで、そこの産物を羅列するのではなく、人間の経済活動の場として、土地と人間の関係を学ぶのが地理学だ。分かったか」と言われ、何となく納得した。 地理学教授の講義から、すでに数十年が過ぎているが、今でも彼の言葉は小生のなかで生き続けている。土地は人間の経済活動との関連で見なければいけないという考えは、他の全てのことに当てはまる。どんな物事でもそれは経済的、歴史的多様な面を持っているから、その判断も多様にあるはずだ。一面だけを捉えて軽々に判断してはいけないということをこの地理学の授業から学んだのである。しかし、その地理学が、あの時習った「学問」からさらに発展しているらしい。今では昔の面影などないほど違ったものに変貌しているようなのだ。 最近、土地と人間の関係を統計学的に推し進めたGISという言葉をしばしば聞くようになってきた。GISとはGeographic Information System、地理情報システムの略で、地図上に様々な情報を電子的に書き込んだものである。簡単な例で言えば、カーナビに出るコンビニやレストランなどの位置情報が入った地図を思い浮かべていただけばいい。普通の地図では道路や鉄道、交番、学校などが書かれているだけだが、電子化した地図に特定の視点から見た情報を層(レイヤー)状に重ね合わせて、地図上から欲しい情報を簡単にピックアップできるようにしたものがGISだ。 GISの情報はインターネットで公開さた国勢調査のデータなど、ごく普通のデータをソースとして利用している。別に目新しいものでも、また特別なものでもない。ただ、これらのデータをいくつか重ね合わせ、特定の目的に合うように加工すると、全然違った意味合いを持ったものが出来上がってくるのだ。例えば仮に、東京都杉並区高円寺と入れれば、そこに住む人の年収比率から、世帯数、年齢構成、持ち家比率とその占有面積といったことなどが簡単に検索できる。小生と同年齢の人は何%ほどいて、どのくらいの収入があり、どのくらいの家に住んでいる程度のことは今のGISを使えば簡単に検索できるのである。これが商売に役に立つ情報となるのだ。 以前の経営戦略なら、ホストコンピュータにつながったコンビニやスーパーのレジの売り上げから、特に売れ筋の商品を納品すれば良かった。販売は後付だった。だが、GISデータを使えば、その地域の人口や労働の種類、年収比率などが相当細かいところまで調べて、対応できる。あるコンビニの商圏範囲での人口比率、子供が多ければお菓子類、勤労者が多ければ弁当類など、細かな戦略を先付けして積極的に練ることができるのだ。銀行員が営業するのに、年収が1,000万円を超えた人の多い地域を単純に選ぶだけでなく、持ち家比率や年齢構成も考慮する。年収が多くても賃貸なら余裕資金が少ないかもしれない。そういう人を予め除外して、ターゲットをより確実なものに絞ることができるのだ。また、カーディーラーなら他社の車も含めて車検を前に買い換えるかどうか迷っている家庭だけを抽出するといったことができるのである。 今やこうしたGISデータは相当の種類が公開されたり、特定の企業に販売されたりしている。そして、これを政府がもっと盛んに活用するようバックアップしているのだ。洪水ハザードマップのような公共に役立つものなら大歓迎だが、我々の行動パターンからプライバシーまで、知らない間にデータ化され、それがどんどん利用されているとなると、複雑な心境になる。同窓会の会員名簿が名簿業者に売られるのが心配などと、脳天気なことを言っている間に、GISはそれよりはるかに先を行っているのだ。地理学はいつの間にか途方もない化け物に変貌していたのである。 上のテーマと全然関係ないのだが、近くの森を歩いていたら、カタクリの花がひっそりと咲いていた。目立たないけれど、じっと見ると、なんとも均整のとれたきれいな形と色をしていたので迷わずシャッターを押した。これにギフチョウでも止まっていれば最高のカットとなっただろう。しかし、そこまで望むのは贅沢すぎる。残念ながらこの近辺にギフチョウはいるはずがないのだ。
by weltgeist
| 2008-04-09 23:47
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