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我が家は猫派(No.50 08/03/24)

 ペットを飼う人に犬派と猫派がある。犬も猫も両方飼っている家もあるが、多くはどちらか一方に傾くようだ。犬が好きだと猫は嫌われるし、猫派は犬を苦手とする人が多い。我が家は猫派で、犬はどちらかというと苦手だ。犬が駄目な理由は子供の頃噛まれて、それが今もトラウマになっているからである。特に大型犬が近寄ってきたりすると、恐怖感が生じてしまう。その点、猫はどんなに大きくても人に恐怖心まで与えないというのが、猫派の根拠の一つともなっている。
 なぜ猫がいいのか。これは猫派の人なら誰もが言うように、彼らの自由奔放さだ。気位が高く、飼い主がいくらかわいがっても決してそれを有り難いと思わない。それどころか、餌をくれるのが当たり前と思っていて、少しでもまずい餌だと腹が減っていても絶対食べない。「こんなまずいもの食えるか」という態度を公然と示す彼らの自己主張の強さが逆にいいのだ。
 彼らは自分というものを完全に持っていて、その自主性は絶対に譲らないし、妥協もしない。人間は世話になった人にはそれなりの礼をつくさなければならない。ところが猫はそんなこと知るか、という態度を取る。飼い主への感謝の念などこれっぽっちも出さないのだ。それでいて、飼い主が怒り出しそうになる直前のタイミングを見計らって、ちゃんと媚びも売ってくるところが心憎い。人間関係に汲々としている我々に、猫の姿は理想郷に住む生き物のように思えてくるのだ。
 ところで、このブログの第一回目で書いたように、我が家で19年間生きた雄猫のケイが昨年の11月に死んでしまった。その2年前には17年生きたヘレンという雌猫を亡くしている。両方とも寿命を全うした老衰であった。19年もの間我が家にいたということは、たいへんな長さである。家族同様と思っていた彼らが居なくなった時、何かが抜け落ちたような寂しさを感じた。ちょっと家を空けると、玄関で我々が帰ってくるのを待っていたかわいい「息子」と「娘」が、玄関の鍵を開けてももう出てこないのだ。こういう状態をペットロス症候群というのだそうだ。この寂しさを紛らわすにはまた子猫でももらってこようか、という気持ちがチラチラと見え隠れする。
 しかし、猫がいると家を空けることもできない。旅行しようにも彼らのことを考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。以前、秋田県の米代川で長期間アユ釣りを楽しもうと連中を連れていったことが何度かある。東北道を650㎞も走って行く間、彼らの水やトイレの手配など気を使って何とか秋田まで行き着いたが、結局、向こうへ行っても猫のことが気になっておちおち釣りもやっていられなかった。犬なら問題ないのだろうが、猫は家に付く動物だから難しいのだ。
 そんなことを考えると、我が家にケイの後釜が来る可能性はたいへん低いと言わざるを得ない。だが、先日久しぶりに新宿に行った時、いつも見ていく西口大ガードの小さなペットショップにかわいいアメリカンショートヘアーの子猫がいて、20分近く見とれてしまった。子猫の仕草はかわいい。彼を見ているうちにまた飼いたいなという気持ちが高まってきたが、もし今度新しい猫を飼って19年も生きたとすると、小生は84歳になっている。そこまで自分が生きている保証はないのだ。我々夫婦が途中で死ねば、長生きの彼はホームレスのフィールドキャットになるしかない。猫の老人(猫)ホームはないのだから。
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19年もの間我が家の家族の一員として生きてきた雄猫・ケイ。親ばかと言われるかもしれないが、本当に利口な猫で、妹のヘレンを良くかわいがっていた。彼を抱き上げるとこちらの心も和やかになる。やはり小生は猫派であることを実感している。
by weltgeist | 2008-03-24 21:23


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