パリの魅力(No33. 08/03/05)

 パリ。なんと魅力的な言葉だろうか。若い頃、この街の名前を聞いて様々な思いに心をときめかしたのが懐かしい。それは今の若い女の子がファッションやブランドの中心地として憧れる華やかな街のイメージとは少し違う。暗く冷たく、それでいてこの街を離れては暮らせない人間の心をゆさぶるような場所としてだ。
 最初にパリを知ったのはジャン・ギャバンやベルモンドが演じるモノクロのフランス映画だった。黒光りするブローニング拳銃をトレンチコートのポケットに忍ばせて石畳の道を歩く姿がとても格好良く、自分もあんな風に歩きたいと思ったものである。
 だが、パリについて決定的なイメージはレマルクの「凱旋門」を読んでからだ。パリの細い裏通りにひっそりと身を隠す亡命者・ラビックとジョアンの絶望的なまでに悲しい恋。ゲシュタポ(ナチ秘密警察)の影に怯えながらもパリの街で会う二人が、カフェで頼むのが「カルバドス」という酒である。レマルクはよほど酒好きだったのか、ジョアンが「喉が渇いたわ」というと、「コニャックでも飲もう」「カルバドスがいいわ」と度々書いている。この言葉には正直仰天した。下戸の小生、喉が渇いて飲むのは水以外にあり得ない。ところがフランスでは喉が渇くと酒を飲むものとこのとき思ってしまったのである。凱旋門はシャルル・ボワイエとイングリッド・バーグマン主演で映画化され、この映画を見た観光客がパリでカルバドスを飲むのが流行したという。カルバドスというのはリンゴから作られた強い酒で、以前、パリで一口飲んで口の中が焼けるような感じを受けた。ラビック達はこんなものを飲んでどうして渇きが癒せるのかとても理解出来なかった。
 パリには何か人を惹きつける不思議な魅力があり、19世紀末から20世紀にかけて世界中から文学者や芸術家がこの街に集まっていた。詩人・リルケは「マルテの手記」の中でパリは死人の街と書いた。若きヘミングウェイも「われらの時代」をパリで書き、文壇の道を歩み始め、その印税でまだ無名だったホアン・ミロの作品を買ったという。ピカソ、シャガール、スーチン、藤田、モジリアニなどの画家の卵達も何か心の支えとなるものを求めてパリの街にやって来たのである。
 フランス人ではロマン・ロランの「魅せられたる魂」や「ジャン・クリストフ」を読んだ時もパリの街のイメージが頭の中に強烈に焼き付けられた。そして、日本でのフランス人気は、1960年代初頭サルトルとボーボワールが来日し、東大での講演で頂点に達した。あの頃は実存主義全盛で、学生は皆ヨーロッパの方を向いていたのである。フランスは文化の最先端を行く国に見え、小生もサルトルの「存在と無」をチンプンカンプンになりながらも必死で読んだり、フランス語会話学校・アテネフランセに通ったものである。
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サルトルとボーボワールがよく来たというサンジェルマン・デプレにあるカフェ・ドゥ・マーゴ。通りに出ているテーブルでカフェを飲むのがパリに来た旅行者の定番と、しばしば女性週刊誌あたりに取り上げられるお店だが、我々は前を通っただけでパスした。
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パリは芸術家の街。地下鉄の駅構内で音楽家達が演奏をしていた。前に置かれた白い楽器のケースの中には意外に皆がお金を入れていた。地下鉄の車内でも音楽家が演奏を終えた後コップを持って回るが、パリ市民はこうした人たちに寛容でお金も沢山あげている。
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セーヌ川沿いにあるノートルダム大聖堂。この入り口(ファサード)や内部には興味深い彫刻が沢山ある。しかし、多くの観光客はただ外見だけ見て、こうしたものを見過ごしている。小生から見ればとてももったいない話である。
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パリ近代美術館で出合った子供達。人なつっこく、たいへんかわいらしい。学校ではこんな小さなときから芸術に慣れさせるのか、行く先々の美術館で多くの子供達が先生の話を聞いている状況に何度も出会った。
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これは我々が泊まったホテルに近い北駅前のラファイエット通り。レストランの明かりがいかにもパリ風で、東洋から来た人間にはきれいに見えた。

 今回で7度目となるパリ訪問で、ついに凱旋門もシャンゼリーゼも、またブランド通りであるフォーブル・サントノーレも行かなかった。もちろん、魅力が薄れたという訳ではないが、買い物に興味が無くなった世代には、見るべき場所は他に沢山あったからだ。今回行ったのはルーブル美術館と国立図書館それに近代美術館、それだけで丸2日半費やした。印象派に興味がない小生、パリへ来た日本人なら誰もが行くオルセー美術館も外し、パリの裏町のような所を少し歩いただけである。その後ストラスブールの方へ行ってしまったから、今回のパリの思い出といえばルーブルしかない。しかし、ルーブルは何度見ても圧巻である。恐らく、もし8度目のパリ来訪があったとすれば、やはりルーブルはいの一番に訪れることだろう。
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ルーブルと言えば、これはもうモナリザ。一昨年来たときは撮影禁止だったが、カメラ禁止の声も無視して、ものすごい勢いでシャッターを押し続ける観光客の勢いに管理者も根負けしたのだろう。今年は撮影OKとなっていた。しかし、カメラを知らない人はフラッシュをたいていた。これでは前面のガラスに光が反射して白飛びした写真しか撮れない。それでもお構いなしに撮り続ける人たちの群れがとぎれることは無い。まるでナワバリを放棄して群れアユになったような状態を連想した。(この意味は釣りをする人しか分からないでしょうが・・)
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by weltgeist | 2008-03-05 17:45


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