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味覚に於ける直感と反省(No.27 08/02/21)

「直感というものは、主客の未だ分かれない、知るものと知られるものと一つである現実その儘な、不断進行の意識である。反省というのはこの進行の外に立って、翻って之を見た意識である。」西田幾太郎著・「自覚に於ける直感と反省」より。

 韓国の代表的な食べ物といえばキムチとニンニク、それに唐辛子。これが好きな人にはたまらなく魅力的な国である。だが、小生、正直なところニンニクと辛いものが苦手である。ニンニクが嫌いなわけではない。たまに食べればキムチもニンニクも美味しい。しかし、のべつまくなしだと飽きてしまうのだ。ところが、韓国はどこへ行っても、またどんな食べ物を頼んでも付け合わせにキムチが出てくるし、料理の中にはほぼ百%ニンニクが入っている。朝も昼も夜もキムチ、ニンニクづくしだと、一日一回くらいはイタリアンとか、中華料理も食べてみたくなるではないか。それが、韓国ではこうしたお店がほとんどないのである。
 日本は和食、中華、イタリアン、フランス、インド、ベトナム、タイ料理など様々なレストランを好みに応じて選べる。ところが韓国では大都会であるソウル市内でもこうしたレストランがほとんどない。わずかに日式と称する日本料理店がある程度。スパゲッティなんか食べたくても難しいのである。不思議なのは日本でおなじみの和洋折衷ファミレスが全く無いことだ。
 韓国人の中に、韓洋折衷料理を扱うファミレスを開いて商売を目論む人がいても良さそうだが、全然ないのは何故か。韓国在住日本人Aさんに尋ねたところ、韓国ではニンニク、キムチ、唐辛子による伝統的食文化が厳然と確立し、外国の料理を受け付ける余地が少ない、それゆえ店を開いても成り立たないのだ、と説明してくれた。自国の料理がたいへん気に入っていて、他国の食べ物にあまり興味を示さないようなのだ。
 つまり、韓国料理が最高であって、他の料理が入り込む余地がない。だから昨日述べたように、我々が釣ったヤマメを韓国人Mさんが持ち帰って、韓国流塩鮭状態で食べたのだ。料理法から根本的に違うのである。以前、ソムジン川で釣ったアユを料理してくれるよう頼んだら、唐辛子とニンニクをきかせたチゲ鍋で出してきた。アユは軽く塩を振り、遠火の塩焼きが最高と思うが、彼らの味覚は全然違うのである。
 韓国ではまずニンニクと唐辛子ありきである。それが美味しい基準であり、ニンニク、唐辛子が入っていないと何か物足りなく、美味しいと感じないのだろう。これは世界の食文化から見ればかなり特殊な国と言えよう。もちろん世界の貧しい国々ではいつも同じ物しか食べていない所も沢山ある。だが、韓国はGDP世界13位の先進国である。貧しくてわずかな穀物と汁しか食べられない民族とは違う。要するに我々がみそ汁にごはん、漬け物が美味しいと感じるように、韓国ではニンニク、唐辛子、キムチは必要不可欠な美味しい物なのだろう。
 これは食文化、伝統の違いであって、良い悪いの問題ではない。小生、ここで日本が良く韓国は駄目と言っているわけではない。口に入れて、これは旨いと感じる判断基準が日本と全然違う。感覚的なものが韓国と日本でまるで異なるから良い悪いと論じてもあまり意味はないと言いたいのである。
 西田幾太郎の言葉を小生なりに「曲解」させてもらえば、自覚=味覚の判断は、カントの「純粋理性批判」と同じように、食べた直後の感触、すなわち辛い、甘いなどの直感でスタートし、すぐさま旨い、不味いの評価=反省に進む。この評価=反省の仕方が民族によって様々なのだ。味(自)覚に於ける直感と反省、すなわち旨い不味いと評価する「反省の基準」は、極めて多様で決して一つのものに収斂することはできないのである。
味覚に於ける直感と反省(No.27 08/02/21)_d0151247_17473079.jpg
帰国最後の食事はアサリ、エビ、タラ、野菜などで味付けした熱いウドンを大皿に入れ、何人かで食べるヘムルカルクックスと言うウドンにトライした。食べ方はウドンを小皿に取ったら左右にあるキムチを入れて、味付けする。小生(右下)は試しにキムチ無しで食べたら、これがアサリやエビのダシが絶妙に出た何とも美味しい味だった。だが、左の二人はキムチを入れて(赤くなった小皿)食べていた。小生が思うに、そうするとアサリ、エビの微妙な味が消えてしまう気がするのだが、彼らも小生と同じように美味しいと言っていた。同じ物を別々な味付けでそれぞれ美味しいと評価する。それこそまさに食文化の違いなのだと実感せざるを得なかった。
by weltgeist | 2008-02-21 17:48


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