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セネカは人生は短くないよ、と言っているぞ (No.2098 16/02/08)

われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。
セネカ、「人生の短さについて」 岩波文庫、大西 英文訳より


 私もそろそろ自分の人生を総括しなければならない年齢に達した。平均寿命からいえばいつお迎えがきてもおかしくない年齢だが、このまま人生を終わりたくはない。もう少し長く生きたいのに、時間はものすごい速さで進んで無理矢理終末へと追い込んでいく気がする。人生ってすごく短いように感じるのだ。
 今、私の人生がどれほど有意義だったかと問われれば、応えに窮する。どうも漫然と人生を送ってきてしまった後悔の念が日ごとに強くなっている。だからこのまま終わりたくはないのだ。往生際が悪いと言われようと、もっともっと長く生きて人生を修正したいのである。
 ところが古代ローマ、ストア派の哲学者・セネカは人生を短く感じるのは、お前自身が貴重な時間を浪費してきたからだと言う。もし本気で問題に取り組めば、すごいことができたのに、それをやらないで無駄な時間を浪費してきた。そしてツケを精算する段階にになって、「人生は短い」などと言うのはとんでもないというのである。
 人生を有意義にするのも、空疎にするのもすべてお前の責任だ。それを「人生は短い」などと無責任な言葉で言うな。それより全力で努力すれば、きっと有意義な人生となっただろうにと言うのである。実に痛いところを突いた言葉である。もはや甘えは許されない。真剣に、一生懸命に、ひたすら己が全力を出して立ち向かえという警告であろう。
 本当におっしゃる通りだ。でももう私にこの言葉は遅いのだ。人生は後戻りできない時間の中にあるから若い頃には戻れない。こんなことならもっとまじめに生きてくれば良かったと思っても後の祭りなのである。
 だが、あの偉大なモナリザを描いたダヴィンチは、別な言葉で人生について次のように言っている。
 「あたかもよくすごした一日が安らかな眠りを与えるように、よく用いられた一生は安らかな死を与える」
岩波文庫・レオナルド・ダ・ヴィンチの手記、上巻、p.73

 つまりは一生懸命生きれば幸福な思いで人生を終えることができる、ということである。セネカやダヴィンチのような偉大な先人たちが同じようなことを言っているのだから、十分傾聴すべきだろう。私はもう遅いけれど、若い人は頑張って後悔しない人生を送っていただきたいものだ。
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by Weltgeist | 2016-02-08 23:59


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