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人生のはかなさ、唐木順三・無常(1) (No.2085 15/11/06)

人生のはかなさ、唐木順三・無常(1) (No.2085 15/11/06)_d0151247_22381437.jpg 古い友人、H君が亡くなったことを知らせる喪中のはがきが来た。友人は72歳、昭和42年、大学院の修士課程に入学したときたった3人しかいなかった数少ない同級生の一人だ。当時は大学院まで進む人はあまりいなかったから、3人はお互いに仲良く研究を続け、修了した後も50年近く親交を結んでいた。そんな心の友が突然逝ってしまい、全身から力が抜けていくようなショックを受けている。実はもう一人の同級生、M君はすでに10年も前に亡くなっていたので、残っているのは私だけである。
 みんなの中で一番病弱であった私が残り、丈夫だった友が先に逝ってしまったのはなぜだろうか。見渡せば同世代の友人が消え果ててもう私の周りに同じ年回りの友人はほとんど残されていない。自分だけが一人長生きすることになってしまったのだ。運命を操る神の意図は分からないが、人生のはかなさを思わざるをえない。
 人が死ぬのはこの世に生を受けたときからすでに運命づけられていて避けることはできない。しかし、そうは言っても親しき者が一人ずつフェイドアウトしていくのはたまらなく寂しい。人の命とはなんとはかないものなのだろうか。

 H君の訃報を聞いてうちひしがれているとき、唐木順三の「無常」を思い出した。「人の世はあわれ、はかない」という嘆きの言葉が中世女流文学者の多くの作品に見られ、人生の無常さがにじみ出ていると唐木は書いている。私は若かった一時期、唐木の「無常論」に強い影響を受けたことがある。友の死で、人生のはかなさを身をもって感じているいま、この本を再び取り出して、若い頃読んだ痕跡をもう一度歩いてみたい気がする。人生が無常であるとはどのようなことなのか考えてみようと思っているのだ。
 「無常」の冒頭、序文には「あわれといふ言葉が源氏物語では千と四十いくつあると数へた好事家もあるが、はかなしといふ言葉、またその類語も王朝の女流文藝作品に實に多く使はれてゐる。」「私はこの言葉の意味内容を歴史的變遷の跡をたどってみたい。そして結論を先に書いてしまへば、はかなしという言葉がふくんでゐる王朝的な心理と情緒が、王朝末から中世にかけて無常に急勾配で傾斜してゆく跡を證してみたいのである」と書いてある。
 唐木はまず道綱母が書いたとされる「かげろふ(蜻蛉)日記」から「かくありしときすぎて、世の中にいともものはかなく、とにもかくにもつかで、よにふる人ありけり」や「和泉式部日記」の「夢よりはかなき世のなかを嘆きさわびつつ明かし暮らすほどに、四月十餘日にもなりぬれば、木のした暗がりもてゆく。」という文章など、公家の女性たちが人生の無常さを嘆き、「はかない」という言葉で表していたと書いている。
 実は私は日本古典文学は得意ではない。古文を読むのも苦手だったが、唐木は中世の無常観は究極的には「禅宗の無」に行き着くと書いていた。当時禅に傾倒していた私はそれだからこの本を特別な興味を持って読んだのである。そして、本の著者・唐木順三が明治大学文学部でやっていた講座に内緒で潜り込み彼の講義を直に聴講するところにまで突き進む思いきった行動に出たのである。

以下続きます。
by Weltgeist | 2015-11-06 23:44


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