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おいしい儲け話 (No.1902 14/02/05)

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 お金をつぎ込んだだけで、後は何もしないで待っていればお金を稼いでくれる。そんなうまい話に乗る人たちに共通しているものとは何だろうか。普通なら100円の物を買えば100円の価値がある物しか買えない。これが当たり前である。120円と値がつけられた物が買えたとすれば、それはどこかにおかしいところがある。気がつかない欠陥を隠した不良品を120円と言って買わされたかもしれないのだ。
 ところが、お金を投資に回す人は、こうした発想が前提になっている。100円投資したのだから、利子を付けて120円で返してもらわなければ損をしたと思うのだ。投資した後は待っているだけでお金がガッポガッポ入ってくる理不尽さを当たり前と思うのがお金持ちの発想である。しかし、これは投資すべきお金も無い人には無縁なことである。明日の飯をどうするか心配な人はまず働いて稼ぐことに専念しなければならないからだ。
 バブルの時代、1億円出して土地を買ってしばらくしたら2億円で売れた。別にその土地から原油が噴き出したわけでもないのに値段が上がっていく。これってよく考えるとおかしくないか。需要と供給のバランスが値段を決めた。1億円で買ったときと2億円で売れたときでは需給関係が変わってきたからだと説明されても何か納得できないものがある。
 この至って単純だが、欲望に目がくらんだ人には見えない疑問が、バブルの崩壊で一度明らかにされた。このとき分かったのは価値の暴落は洪水と同じ、調整であるということだ。上がりすぎたものはいつか下がらざるを得ない。永遠に上昇を続けることはあり得ないので、最後のババを引いた人を頂点に急降下する。100円は100円に戻って行こうとするのである。
 しかし、このことは決して痛い目にあった人々に教訓を与えない。懲りない人々が今度こそ儲かるぞという、得体の知れないことに暗黙の期待を持っている。飢えたハイエナのように「何かいい儲け話はないか」とあたりをかぎまわることをやめないのだ。そうしてある人は良い獲物に運良くありつく。しかし、最後はやっぱり洪水が起こってきれいに洗い流されてしまう。その跡には大損害を受けた何人もの犠牲者が途方にくれたまま取り残されるのである。我々の生活ってそんなババ抜きゲームの繰り返しのような気がする。
by Weltgeist | 2014-02-05 23:48


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