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一生忘れない心の傷 (No.1839 13/11/19)

 小生がリタイアする直前のことだからもう10年以上昔、ある人に声をかけられた。彼は親しげでにこやかな顔をして話しかけてきたのだが、小生の心の中は凍り付いたように冷たかった。時代はもっと遡って30年ほど前、出張先で彼から耐えられないほど侮辱的な扱いを受けたことがあるのだ。そのときの心の傷が30年過ぎた後でも忘れられずに残っていたのである。
 社会に出れば7人の敵がいると言われる。敵ばかりの社会では同じようにはらわたが煮えくりかえる思いをさせられて、「あいつだけは絶対許せない」と思った人は案外たくさんいるのではないだろうか。
 理想を言えば嫌なことがあっても気にせずさっさと忘れ、以後彼とのつきあいを絶てばいい。顔を合わせなければ不愉快なことを思い出さなくてすむからだ。しかし、狭い社会では顔を合わせないことは難しい。また、あまりに深い心の傷は10年や20年程度で簡単に消し去ることはできない。
 それなのに神は左のほほを打たれたら右のほほも出してやれと言われる。隣人愛の精神から言えば、忘れるだけでは不十分なのだろう。人間は愚かな存在である。彼は自分がどのようなことで人を傷つけているか分からないのだ。そんな人間の過ちなど許してやれ。いや、むしろ愚かな彼をも愛せよと神は言っている。
 だが、心の狭さから抜けきれない小生にはそんな寛容さは持ち合わせていない。それどころか傷の深さから未だに許せないと思う人たちが何人もいるのだ。ずっと昔のことで言った本人はとっくに忘れているかもしれないが、傷つけられた方はいつまでも覚えているのである。
 こちらは長いこと悶々としているとき、そんな嫌なやつが何事もなかったかの態度で来ると「この野郎、お前のことは忘れないぞ」と思いながらそのことを言えない。曖昧な態度で話をする自分が情けない。「君は昔おれに***ということをしたんだよ。覚えているかい」と言ってやりたいが、そこまで古傷を蒸し返す勇気もない。
 汝の隣人を愛せと言われるのは、たしかに理想的ですばらしいことだが、総論は賛成でも具体的な各論になるとたちまち行き詰まる。他の人は心から愛せても、あの男だけは許せないと思ってしまうのだ。狭い心しか持ち合わせていない自分自身を情けなくも思うが、どうしようもないのである。
一生忘れない心の傷 (No.1839 13/11/19)_d0151247_2230773.jpg
マティアス・グリューネヴァルト / イーゼンハイム祭壇画 / 下段プレデッラ( The Lamentation 悲嘆)の左側部分 /1515年作。フランス北東部アルザス地方、コルマールのウンターリンデン美術館にて2008年に撮影。
by Weltgeist | 2013-11-19 23:57


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