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契約書と約束 (No.1811 13/10/16)

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 一度約束したことは信頼関係が確立している人の間なら問題なく履行される。相手を信頼するから約束が成立するのだ。はじめから疑わしくて信頼関係が築けない場合には契約書や担保が必要となる。契約書があれば約束を破られたとき契約違反で訴えることができるし、担保を回収することで損害を防げるからだ。信頼できない人間との間ではお互いにそれを破らないための「縛り」を決めておく必要があるのである。
 契約書を交わすことは相手の信頼性に疑問があるからに他ならない。信用できれば契約書など不要である。新渡戸稲造の「武士道」には武士は金銭の貸し借りで借用書を書くことを恥としたと書いてある。武士に二言はない。約束したことは絶対守るのが武士道の精神である。当時の支配階級であった武士は、金銭に関わることにはとくに浄く、お金にまつわる不正を行うことはきわめて少なかったという。だから長い間腐敗の少ない日本独特の封建制が存続できたのである。
 しかし、現代の為政者、すなわち政治家はどうだろうか。彼らはしばしば巧妙に嘘をつく。選挙のときに約束した素晴らしい公約も選挙が終われば知らんぷりをして逃げてしまう。「話が違うじゃないか」と詰め寄っても、適当な答弁をしながら約束を守ろうとしない。そうすると頭の悪い国民は、このことをすぐに忘れてしまうのだ。しつこく追求しても少しずつ嘘を重ねて、最後はまったく別なことに置き換える能力に長けた人が政治家になるのである。
 この手で国民はずっとだまされてきた。そして「政治家は嘘をつく」ことは当たり前になっているから、我々は公約など破られてもあまり怒りを感じないようになってしまっている。国民は政治家にまったく期待していない。いい加減あきらめているのだ。これが日本人の国民性なのかもしれない。新渡戸稲造も嘆くような、人を信頼する精神が現代では根底から欠如しているのである。
by Weltgeist | 2013-10-16 23:53


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