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ユニクロはブラック企業なのか (No.1680 13/04/24)

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 昨日の朝日新聞朝刊のトップに、ユニクロが賃金を世界水準に統一するというニュースが出ていて、ついにここまで来たかと思った。世界中のユニクロで働いている従業員は仕事が同じなら賃金も同一にする。これは理にかなった提案である。しかし、そうなると、日本のような高賃金で働く人と、中国などアジア各国で働く人が同じ水準に平準化される。世界経済の流れからすればまことにその通りだが、日本で働いている社員の給料は下がり、中国は上がることになる。これは体の良い賃金引き下げ提案ではないかと勘ぐるのだ。
 以前からユニクロは若者を劣悪な労働環境のなかで低賃金で働かせ、使い捨てにすると批判されていた。入社して3年で半数、5年以内に80%の人が辞めていく会社というのは異常である。これに対して「言論プラットホーム・アゴラ」で辻元氏が「ユニクロの強みは価格の割に品質が良いことだ。それは人件費が小さいことからきている。正社員比率が非常に小さい(約10%)、店長を管理職にして残業手当を払わない。社員の教育にコストをかけない」といった従業員を過酷な低賃金下で働かせ、利潤を吸い上げるブラック企業だからではないかと指摘している。
 朝日新聞はこうした評価を念頭に柳井会長兼社長に「ユニクロはブラック企業ではないか」とインタビューしていた。これに対して柳井氏は「グローバル経済というのは成長か、さもなければ死だ。非常にエキサイティングな時代だ。変わらなければ死ぬと社員には言っている」と言い「将来は年収1億円か100万円に別れて、中間層が減っていく。低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」と本音を言っている。
  東洋経済の「ユニクロ 疲弊する職場」 という特集記事で、ユニクロは売上の約80%は国内で、ユニクロは現在のところ国内中心の企業であると言っている。とすれば世界水準の賃金と言うほどのことでもない。大部分の社員の賃金をわずか20%にすぎないアジアの賃金水準に平準化するという国内事情を目論んでいるのだ。日本人従業員のほとんどの人に達成できない1億円というニンジンを見せながら、もっと働けとせっつく。さもないとアジア並みに安くするぞ、という魂胆が見え見えである。駄目な奴は辞めろ、代わりはいくらでもいるという、非人間的な発想なのだ。
 だが、一方で経営者はこうした動きを歓迎している。従業員を安く使い捨てできるからだ。このような企業をブラック企業と批判する連中は、緊張感もなくたいした仕事をしない「穀潰し」を温存するだけで、グローバルエコノミーの過酷な競争に負けることになる。いい大学を出て、定年まで滞りなく務めればいいと甘く考えている時代は昭和で終わり。これからはもっともっと激しい競争にさらされるから、年収100万円になっても仕方がないというのである。
 しかし、柳井氏のこれまでの言動を見ていると、何か不信感を感じてしまう。競争をやるならフェアでなければならない。ユニクロの現場店長と同じ水準で柳井氏が競争しているなら理解できる。しかし、自分は競争の埒外にいて、鵜飼いの師匠みたいに下っ端社員をこき使って、その利益をピンハネしているだけではないかと感じるのだ。
 小生の人間観は「人は誰もそんなに変わらない。五十歩百歩で差はない」である。そうなら年収100万円と4億円の柳井氏の賃金にここまで差があるのはおかしい。ちなみに柳井氏の2013年の推定資産は133億米ドル(約1兆2369億円)で世界66位、日本で1位の大金持ちである。1兆円という途方もない資産はどうやって作ったのか。それは使い捨てされた若者の血と汗の結晶に見えるのだ。
 経営者としては企業を成長させることが使命だともっともらしい理由をいうだろう。しかし、成長するとは経営者だけが良い思いをすることではない。そこに働く人たちがみな希望と生き甲斐を見いだせる場であるべきだ。人間を物と同じに扱って、ゴミのように使い捨てていく成長って、正しいのだろうか。結局、成長信仰をたくみに利用したブラック企業経営者の都合の良い理論に見えてしまうのである。
by Weltgeist | 2013-04-24 23:22


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