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便利さについてもう少し考えてみた (No.1650 13/03/25)

 昨日は最新のカメラのことから「便利な物」について話が及んだが、書き終えた後でも何か言い足りないことがある気がしていた。それで今日はカメラではなく、携帯電話を通して「便利さと人間の弱体化」の意味をもう一度考えなおしてみることにした。
 今、世の中で一番便利になった物といえばネットにつながった携帯であろう。電話と小型PCが合体した超便利な物である。特にスマートフォンの普及は爆発的だ。電車のなかを見渡せば、全員と言っていいほどの人が携帯&スマホにかぶりついている。普及率はともかく、使用状況が異常である。他のどんな国に行ってもこれほど熱心に携帯をいじり回す国民はいないだろう。
 これは一種の病気だ。とりわけスマホの利用者はほんのひとときもそれから離れられない中毒患者のように見えてしまう。小生はいまだ古典的な携帯電話のままで、これでネットはやらない。使用目的がほぼ電話に限られているので、彼らがスマホでどんなことをしているのか実はよく分からない。しかし、画面を見つめる人たちの様子は明らかに受け身である。自分の頭で物事を考えていくのではなく、全部スマホに考えてもらうだけに見える。
 考えることを止めて誰か他人が作った答えをただキー操作で取り出すだけの受け身人間となれば、当然人間の思考能力の劣化が起こる。人はどんどん馬鹿になると言っていい。
 そして、困ったことに人間はこの事態を分かっていながらその便利さから逃れられないでいる。もはやネットのない(したがってスマホがない)生活には戻れない。機械が考えてくれる便利さを捨て去ることができないのだ。
 ポケットに入る書斎、あるいは百科事典の電話機、これさえあれば何でも分かってしまう。むずかしい言葉や物事も検索一発で画面に引き出せる。以前のように分厚い百科事典を開いて言葉を探す労力など皆無である。
 こんな便利な物がある時、誰が苦労して百科事典など取り出すだろうか。もしこのことで人間がものを考えることがあるとすれば、それはただ一つ、いまよりもっと簡単、便利な物はないかと考えることだ。決して検索した事項について考えを及ばせることはない。なぜなら、それは他の誰かがすでにやっていて、どこかのネットに答えがあることを知っているからだ。人はここにおいてまったく考えることを放棄し、受動人間と化しているのである。
 人は便利な物、楽な物を目指すように宿命づけられている。何事もイージーに、快適にこなせる「道具」を欲するのが人間である。そしてメーカーは便利な物を造り出すことが「良いこと= Good 」であり、人のためになると信じている。そうやって人は発展し、どんどん馬鹿になっていくのである。
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by Weltgeist | 2013-03-25 23:14


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