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バーンスタインのマーラー・交響曲第二番復活を聴く (No.1606 13/01/29)

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 このブログの右側にライフログというコーナーがあり、ここにお気に入りの本や音楽があれば登録して皆さんにお勧めすることができる。釣りや蝶など多趣味な小生は登録したい好きなものがいっぱいあるが、あれもこれも登録したら、かえって焦点がぼけるだろうと三点しか載せていない。最初は哲学者、ハイデガーの「存在と時間 Sein und Zeit 」、二番目が小説家、シュテファン・ツヴァイクの「人類の星の時間」そして、最後の音楽はクラウディオ・アバド指揮のマーラー「交響曲第二番復活」。いずれも小生が最高と思うものである。
 音楽ではマーラー以外に載せたいものが沢山ある。バッハ、ベートーベン、ワーグナーなど大好きだが、今のところ音楽はアバド指揮のマーラー、交響曲第二番復活だけにしている。いずれはバッハの「マタイ受難曲」とか、グールドの「ゴールトベルグ変奏曲」も登録しようとは思っているが、とりあえず今はアバドが演奏したマーラーの交響曲第二番復活が一番好きで、これを繰り返し聴いている。(一昨日のボロディンの中央アジアの草原にては例外です)
 しかし、今日は少し風向きを変えて、レナード・バーンスタインが1973年にロンドン交響楽団を指揮した古い「復活」のDVDを見たくなった。イギリスの古い教会でのライブ録音で、合唱はエディンバラ音楽祭合唱団、ソプラノがシーラ・アームストロング、メゾソプラノがジャネット・ベイカーという構成である。1973年というともう40年も昔のものだから映像も録音も骨董的な貧弱さである。アバドのスイス、ルツェルンのDVDと比べるとかわいそうなくらいひどいものだ。
 しかし、音楽とは心で聴くものである。1時間20分に及ぶかの長い大曲を聴き始めると、バーンスタインの演奏がただものではないことを思い知らされる。昔の録音の質などたちまち意識の外に出てしまう。歴史的な名演奏とはこういうものを言うのだろう。時の経つのも忘れた没我状態となって、ただただバーンスタインの音の魔術にはまってしまうのである。
 映像を見ると指揮しているバーンスタインそのものが、まさに夢遊病者のような恍惚状態になって第五楽章のフィナーレへ突入していく。そして、「♪~あなたはよみがえるだろう~~♪♪」というところでバーンスタインは指揮台で飛び上がるほど興奮し始める。指揮者とオケ、歌手が一体となった爆発的フィナーレはアバドの名演奏をも吹き飛ばすほどの迫力である。
 こんな音楽を一人でも多く聴かせたい。しかし、クラシック音楽に興味のない人に1時間20分全曲を付き合ってくれとまでは言えない。小生がそれほど勧めるならちょっと聴いてみるかと思う人がいたら、ユーチューブにフィナーレの8分間だけの部分ビデオを見つけたのでこれを見ていただきたい。8分でも長いというなら最後の4分くらいだけでも聴いていただきたい。
 そして、もし気に入って第一楽章から第五楽章まで全曲を聴いてみたい人はこちらをクリックしていただきたい。ただし、全曲盤は日本語字幕が出ないので、ドイツ語の歌詞の意味が分かりにくい。歌手がどういう意味を歌っているのか知るにはDVDがいいのだが、残念ながらこの盤は現在品切れのようだ。ちなみにユーチューブを調べたらアバド盤もフィナーレの部分、13分間があった。もちろんこちらも素晴らしいから比較して聴いてみるといいだろう。ただし、これも日本語字幕はない。ユーチューブって何でもあるのには驚いた。
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全身全霊を注いでマーラーの「復活」を指揮するバーンスタイン。その迫力は圧倒的である。とくに第五楽章最後のフィナーレでは、飛び上がったり、両手をあげて叫ぶような姿で我々をマーラーとバーンスタインが醸し出す興奮の世界に引きずりこんでしまう。
by Weltgeist | 2013-01-30 11:15


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