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ジョン・スチュアート・ミル、満足した豚 (No.1589 13/01/12)

満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。
It better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied. 
ジョン・スチュアート・ミル、功利主義論(関義彦訳)


 哲学者であり経済学者、政治家でもあったジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill / 1806-1873年)は、日本ではあまり知られていない。しかし、上の「満足した豚と不満足なソクラテス」と聞いて、小生と同世代の人はどこかでこの言葉を聞いたことがあるはずである。
 昭和39年3月の東京大学卒業式で、当時の総長だった大河内一男が「太った豚になるより、痩せたソクラテスになれ」と告辞した。世間のニュースとなったユニークなこの言葉は上に書いたミルの「功利主義論」からの引用句なのである。
 大河内はミルの原文とは少し違えて、「満足した=satisfied」を「太った」と、「不満足=dissatisfied」を「やせた」と言い換えている。この言い換えがミルが言いたかったことの趣旨と合致しているかどうかは別にして、日本では「太った豚よりやせたソクラテス」という言葉が一人歩きしている。
 東大は日本をリードするエリート校である。卒業生はいずれは日本を背負って立つリーダーになる。大河内は彼らに私欲を満たして太るより、日本国のために粉骨をさいて頑張れという意味を込めて卒業生の送る言葉としたと当時のマスコミは報じていた。
 だが、上の文章をもう一度読み直すと、「不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足な・・」というところが抜けている。これを入れて解釈し直すと、満足した豚は馬鹿。むしろ不満足な方がいい、という一文が加わる。大河内流に解釈すれば「太った豚は馬鹿、よろしくない。むしろ太っていないソクラテスの方が賢い」となる。
 ギリシャの哲学者、ソクラテスは「なんじ自らを知れ」と言って、自分を知れば知るほど無知な人間であることが分かる、とした哲学者である。徹底的に自分を理性でコントロールできる賢者なのだ。だから今の自分に満足しないで、つねに自分はまだまだ学ぶべきことがいっぱいある謙虚な人間になれと言っているのである。
 だが、ミルは、上で引用した言葉の前に次のような興味深い一文を置いている。「ほとんどの人間は、動物的快楽を完全に与えられるという約束と引き替えに、人間より下等な動物のどれかに変えられることに同意しようとはしないであろう。知性ある人間存在は誰も馬鹿者になることは同意しないし、教育を受けた人間は誰でも利己的で、下劣なものになることに同意しないだろう」とある。ミルが言いたかったのはここである。たとえおいしい餌を腹一杯食べられたとしても人間は豚にはなりたくないのだ。
 ミルはベンサムの「人間は快楽を最大に、苦痛を最小にすることを選ぶ」という功利主義を受け継いでいるが、もし人間が快楽追求ばかりに走ったら、それは動物と変わらないことになる。だがミルは理性ある人間はそんなことはしないと考える。決して馬鹿な豚になろうとなどせず、賢いソクラテスを目指すと信じているのである。
 18世紀の啓蒙主義では人間に自由な選択権を与えても、自らを高めてソクラテスのような賢者を目指すと、ミルは確信しているのだ。ここには人間理性に対する揺るぎない信頼がある。

*ミルの快楽、自由、民主主義などに関する興味深い考えを明日も続けて書きます。
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テームズ川岸辺に立つウエストミンスター寺院。この中には英国国会議事堂がある。ミルは1865年から68年までロンドン・ウエストミンスター選挙区選出の下院議員としてここで活躍した。彼はリベラルな政治家で、英国下院における婦人参政権を訴えたが、次の選挙では落選している。
by Weltgeist | 2013-01-12 22:35


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