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怒りについて (No.1518 12/10/24)

 若い頃の小生は気が短く、のべつ幕無しに怒っていた。他の人がやることなすことすべてが気に入らない。だから不満がたまり、時々怒りとなって爆発した。ちょっとしたことですぐに文句を言って怒り出すから「瞬間湯沸かし器」とあだ名されるほどの人間だったのである。
 また人と議論することが好きで、今で言うディベートを朝まで繰り返すなんてことをやっていた。弁舌はたつ方ではないが、議論は得意だった。そして自分の意見が間違っていると気づいても絶対それを認めようとせず、屁理屈を駆使して強引に相手をやり込め、「どうだ、俺様が正しいのだ。分かったか」と鼻息を荒くして勝ち誇っていたのである。
 威勢の良い小生はおとなしい従順な人を見ると「何で君は文句を言わないのだ。もっと怒れ」と相手をけしかけるほどだった。理不尽で欠点だらけの世の中は怒りを持って抗議しなければ良くならない。批判的な目で周囲を見渡し、不合理なことには徹底的に戦って正していくことが人間の進むべき道と思い込んでいたのである。だから、体制に丸め込まれ迎合する人たちを軽蔑し、プロテストすること、反旗を掲げることこそ必要と信じていたのである。
 ところが歳を重ねるに連れてこの考え方が変わり、怒ることが少なくなってきた。最初のきっかけは「お前は人を批判し、怒るほど正しい人間なのか」という自らへの疑問であった。そして怒りの内容を深く考え始めるようになって、自分が見当違いなことをやっていたことに気がついたのだ。怒るべきは外にある他人や物事ではない。内なる自分ではないかと考え始めたのである。
 怒りとは何だろうか。世の中を見渡せば目を覆いたくなるほどひどいことが沢山ある。これを見て怒らないのは人間としてあるまじきことではないかと思う。しかし、それを生み出してきたのは小生も含めた全ての人間の結果である。こうした不合理、不条理は人間の本質としていつまでも付いて回るものなのだ。世の中の怒りの原因を造り出してきたのはまさに自分でもある。だから人を怒る前に自分を正すことが先と思うようになってきたのである。
 納得できない不合理は正さなければならない。しかし、それでも不満の元は限りなく続いて生まれてくるだろう。外に怒りをぶちまけても根本的な問題は解決しない。なぜなら、人間はどこまで行っても不完全で、自ら不合理なことを造り出す身勝手な存在だからだ。自分の責任を差し置いて外に怒りを発することはお門違いなのである。
 むしろ大切なことは怒る前に自らを正し、他の人たちが不完全で不満足なことをやっていても感謝の念を持ってそれを受け入れることではないかと思うのだ。この世の中のどんなに悲惨で苦しいことも、それが自分を高める契機となると思えば受け入れられる。全てのことが自己を高みに導くための神からの贈り物と受けとれるのだ。逆説的だが、苦難があるから幸せもあるのである。怒り、不満ではなく、この世に存在させてもらっていることに限りなき感謝の気持ちを持つことである。ここに解決の糸口があるのだ。
 世の中にはやたらに文句ばかり言って怒りまくる人がいる。しかし、これこそが間違いの始まりではないかと最近の小生は思っているのである。
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by Weltgeist | 2012-10-24 23:51


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