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見えない束縛 (No.1481 12/09/15)

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 もう先行きがない小生のような世代になると、未来より過去のことが無性に懐かしくなる。最近は特に小学生時代の自分を思い出す。昭和20年代後半という、いまではもう考古学の分野に入れられそうな昔の時代に自分は小学生だった。その頃のことを思い出すとまさに隔世の観がある。テレビも車もない、いやガスさえなくてオフクロが毎朝、七輪で炭火をおこして食事を作っていた時代である。あの頃は誰もが皆貧しかったけれど、子供たちには毎日が充実した満足のいく日々だった。
 猛烈なまでにいたずらっ子だった小生は、近くの神社の境内にあった大きな銀杏の木がお気に入りで、学校から戻るとまずこの木に登って遊んでいた。勉強などしないでエビガニやドジョウ、メダカ採りに精を出し、どろんこになってオフクロに怒られるという、無邪気な子供だったのである。
 そんな屈託のない小生たちと違って、今の小学生は勉強ばかり強要されてろくに遊ぶこともできない。車が行き交う外では遊ぶのも危険だ。それに最近は変質者がいたりして思いっきり遊ぶなんてことができない。小学校を卒業すれば中学、高校、大学、そして就職と、次第に厳しい競争社会の中に投げ込まれていく。これを無視して遊び惚ける子は落ちこぼれのレッテルを貼られるからのんびり遊んでいることなどできないのだ。
 小生の時代でももちろん競争はあった。しかし、今のように社会全体がそれを強要するほどではなかった。猛烈に勉強する奴がいても、やりたい奴はやれ、俺は関係ないといっても許される余裕、自由さがあったのである。それがいつしか有名大学を出て一流企業に就職して幸せな家庭を築き、優秀な子供を育てるということが、社会通念となって誰もがこれに邁進するようになってしまった。頭のいい天才をもっと磨かせるために頑張れというなら理解できるが、磨いても光らない凡人まで一緒に頑張らせ、結局は彼らにストレスを与えてしまう。何か人間の自由な生き方を変な外圧でがんじがらめに縛ってしまったのである。
 だが、写真のキューピッドたちは、そんな現代の過酷なトレンドとは無縁な、まさに小生の子供時代のような屈託のない顔をしている。彼らは将来の大天使予備軍で、就職先は決まっている。いずれは聖母マリアに受胎告知するような重要な役割を担わせられるのである。あくせくする必要などないのだ。気が向いたらときどき人の心に見えない「恋心の矢」を打ち込むくらいが仕事である。羨ましい余裕がこのキューピッドたちには現れているのである。(*写真はフランス、シャルトル大聖堂で撮影しました。)
by Weltgeist | 2012-09-15 22:46


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