大衆人は、生は容易であり、有り余るほど豊かであり、悲劇的な限界をもっていないという感じをいだいている。自分の中に支配と勝利の実感があることを見いだすのである。そしてこの勝利の実感が彼にあるがままの自分を肯定させ、自分の道徳的、知的資産は立派で完璧であるという風に考えさせるのである。この自己満足の結果彼は外部からのいっさいの示唆に対して自己を閉ざしてしまう。他人の言葉に耳を貸さず、自分の見解になんら疑問を抱こうとせず、また自分以外の人の存在を考慮に入れようとしなくなる。彼はこの世には彼と彼の同類しかいないかのように行動するのである。
オルテガ・イ・ガセット、「大衆の反逆」 PP.137-138 20世紀に入って爆発的に生まれてきた「大衆」の特徴をオルテガは様々な角度から分析し、現代における病的な状況をとらえようとしている。大衆とは何か。上の言葉が示す通り、有り余るほど豊かになった人たちは、この世に怖いものはないという自信を持ち始めている。あふれ出る豊かな生産物の中で勝利の美酒に酔いしれて、自信満々なのである。だがそれは実は根拠のない自信である。彼らは深く考えることもせずに自己満足の中に浸かりきっているだけなのだ。大衆とはこうして空疎で実体のない自己に閉じこもり、自分以外、他人の存在を認めない人となっていくのである。 こんな大衆を生み出す原動力となったのは産業革命以来急速に高まった生産力の増大である。20世紀に入って技術進歩は恐るべき速度で発達している。人々はそこから生み出される車やコンピュータなど文明の産物に熱狂し、それに満足しているのである。しかし、それにもかかわらず彼ら大衆は豊かさを生み出した社会の根本的な原理についてはいつまでも無関心なままだ。「車はエデンの園の樹になる自然の果実だと信じている」(P.114) だけだとオルテガは皮肉を込めて言っている。 「これはまさしく人類史が生んだ甘やかされた子供である」(P.139)「慢心しきったお坊ちゃん」(P.143 ) なのだ。「文明というものは進めば進むほどいっそう複雑でむずかしいものになっていく」(P.127) のに、「こんにちでは自分自身の文明速度についてゆけずに失敗しているのは人間の方」(P.128) なのである。大衆化した人間は文明に隷属する以外に生きる方法を見失っているのだ。 産業、経済から学術の分野までものすごい勢いで全てが爆発的に発展している。例えば今日の科学の発展を見ると、19世紀以前のヨーロッパでは考えられないほど画期的な発見、発明が次々と登場してきている。しかし、なぜそうしたことが19世紀に起こらなかったのか。それは20世紀に入ってあらゆる分野が専門化され、間口が狭くなったからだ。科学者は重箱の隅をほじるような狭い分野だけを研究すればいい。ダヴィンチのように、絵画から科学まで広範囲に手を広げる必要はないのだ。狭い専門分野だけで成果を得ることができるのである。しかし、それ以外の専門外では相変わらず無知なままである。突出した部分では優れても、全体を包括的に把握することができていないのだ。(P.160 ) 現在はすごい「学者が沢山いるにも関わらず、例えば1750年頃よりもはるかに教養人の数は少ない」( P.161 ) ことにそれが端的に表れているとオルテガは指摘している。 このような大衆化された社会は何をもたらすのだろうか。オルテガは次のように言う。「ほとんどすべての国において同質的大衆が社会権力の上にのしかかり、反対派をことごとく圧迫し、抹殺している。大衆はーーーその密度とおびただしい数を見れば誰にも明らかなことであろうがーーー大衆でないものとの共存を望まない。いや大衆でないものに対して、死んでも死にきれないほどの憎しみを抱いているのである」( P.108 ) と。 以下明日に続く。
by Weltgeist
| 2012-06-08 23:56
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