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フィッシャー・ディースカウの死を悼む (No.1395 12/05/19)

フィッシャー・ディースカウの死を悼む (No.1395 12/05/19)_d0151247_22364060.jpg 今朝の新聞で20世紀最高のバリトン歌手といわれたディートリヒ・フィッシャー・ディースカウがドイツ南部、バイエルン州の自宅で亡くなったというニュースを報じていた。86歳であったという。最近の歌手にはフィッシャー・ディースカウよりもっともっと上手で人気の高い人が沢山いるが、小生の世代では彼は最高、彼以上の高みに達した歌手はいないと信じている。そんな人がまた一人この世から消えていったことに深い悲しみをおぼえている。
 小生が彼を見たのは、ほとんどの日本人と同じ、1963年、ベルリン・ドイツ・オペラの一員として初来日して日生劇場で演奏した「フィガロの結婚」が最初である。当時としては非常に高額なチケットで、学生が買えるような金額ではなかったが、雲上の世界の人たちがベルリンからやってくるのだ。これはなんとしても見なければと思い、母親に「何でも言うこときくからお願いします、チケットを買ってください」と必死に嘆願してようやく入手できたそれこそ超プラチナといってもいいチケットであった。
 それを持って学生の分際ながらまだ新しかった日比谷の日生劇場でアルマヴィーヴァ伯爵を演じるフィッシャー・ディースカウを「見た」のである。しかし、演奏の出来具合などまだ評価もできない音楽ド素人であったから「聴いた」のではない、ミーハー的に「見た」のが最初である。このときの指揮者はカール・ベームだったが、不思議なことにベームの印象は残っていない。まだベームも「若造」の部類であまり高い評価は受けていなかったことが希薄な印象の原因ではないかと今は思っている。しかし、演奏が終わって虚脱状態で日生劇場を出た記憶はあるから、音楽に素人だった小生を十分感動させるだけの迫力ある演奏だったことは間違いない。ベームの指揮も素晴らしかったのだ
 小生がクラシック音楽にのめり込んだのは大学1年生、1961年頃からである。学生にLPレコードを買う余裕はないから新宿から高円寺、荻窪界隈の名曲喫茶に入り浸ってもっぱらそこでレコード演奏を聴いていたのである。そのときフィッシャー・ディースカウもいくつも聴いていた。とくに評判となったシューベルトの「冬の旅」や「美しき水車小屋の娘」は素晴らしいとは思った。
 しかし、63年に聴いた「フィガロの結婚」に小生は強い影響を受けていたのである。冬の旅の凍り付くような寂しさもすごいけれど、フィガロの結婚のようなモーツアルトの軽々とした明るい演奏が小生は大好きになっていた。それでお小遣いを奮発してカール・ベーム指揮ベルリンフィルで、フィッシャー・ディースカウがパパゲーノ役を歌ったモーツアルトの「魔笛全曲LP盤」を購入するというやや思い切った行動に出たのである。そして、ヒマさえあれば自宅でそれを繰り返し聴いていた。
 「魔笛全曲盤」は青い色の鳥の羽を全身に付けたパパゲーノが笛を吹いて鳥を呼び寄せているデザインで、確か3枚か4枚組のLPレコードだったと思う。DVDどころかCDでもない、針の付いた蓄音機で聴くLPレコードだから歌っている歌手の姿などもちろん見えない。しかし、あの猪首のおどけた独特の顔つきで「♪~パッパッパッパ、パパパパッ、パパゲーナ~~~♪♪」と歌いながらパパゲーナを追いかけるフィッシャー・ディースカウがいつも思い浮かぶのである。それと夜の女王を歌っていたコロラトゥーラソプラノのロバータ・ピータースも素晴らしかった。
 その後CDが全盛になり、蓄音機そのものがなくなったからレコードは捨てざるを得なかった。しかし、それでも魔笛だけは捨てるのが忍びなく、長い間わが家のゴミ溜めの中に漂っていた。もちろん今は捨てて無いが、フィッシャー・ディースカウが歌うパパゲーノの特徴あるあの声ははっきりと脳裏に残っていつまでも小生の心の中で歌い続けているのである。
 ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ、20世紀を駆け抜けた偉大な天才に感謝とご冥福を祈りたい。
by Weltgeist | 2012-05-19 23:56


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