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ニーチェ、その1、ヨーロッパのニヒリズム (No.1322 12/02/27)

わが友よ、私たちが若かったとき、私たちはつらかった。私たちは、重い病気で苦しむがごとく、青春そのもので苦しんだのである。私たちの投げ込まれていた時代、・・・崩落、したがって不確実さはこの時代に固有である。何ひとつ確たる足場の上に立ってはおらず、厳しく自己を信ずることもないからである。ひとは明日のために生きるが、それは明後日が疑わしいからである。私たちの歩むところはいたるところ平滑で危険で、しかもそのさい私たちをどうにかささえてくれる氷は、ひどく薄くなっている。
フリードリッヒ・ニーチェ、権力への意志、57、理想社、ニーチェ全集11巻、原佑訳 P.69


 若い頃、ニーチェが語る強烈なアフォリズムが自信喪失して希望がなくなった小生を大いに惑わせ、いっそう自分を社会の闇の方に押しやった。上のような彼の言葉がさらに自分を苦しめる力となったのである。この頃の自分は苦しく、辛いことばかりだった。時には生きている意味をも見失い、絶望の淵に沈み込んでいくような日々を送っていたので、ニーチェの暗い言葉がその状況にさらに拍車を掛けたのである。
 一方で自分の周囲は絶望とは無縁な力がみなぎった世界であった。高度成長期の波が怒濤のように渦巻き、皆が自信に満ちて未来に向かって力強く前進していた。誰もが光り輝く未来になんらの疑問を呈することがない明るく、良き時代だったのである。この対比はみごとなばかりで、ウジウジと暗い日々を送っていた自分は、列島改造論に息巻くブルトーザーに押しつぶされんばかりであった。
 希望に満ちた社会の中で一人だけが暗い顔をして「私はつらい」などと言うことは、時代の流れから完全に浮き上がっている。しかし、あのめざましい高度成長が止まり、バブルがはじけた頃から明らかに時代は変わってきている。経済の成長はストップし、人は懸命に働いても一向に報われることなく、閉塞感が漂う暗い状況に落ち込んだ。今日より明日の方が良くなるという希望が失われた時代がいまなお続いている。ニーチェが言うとおり社会は重い病気で苦しんでいるようになった。まるで薄い氷が張った湖面を歩いているように、あらゆるものが不安定で、いたるところで危険が待ち構えている状況に変わったのである。
 なぜ状況がここまで不安定になったのか。それは人々を支えてくれるものがなくなったからだとニーチェは言う。いま人は何を信じて生きていけばいいのか、人はその核とするものを見失っているのである。ニーチェはそのことを、明るく光輝く昼間にカンテラをかざして「私は神をさがしている」と叫びまわったのである。以前は神こそ人々を支える核たるものだったからだ。
 だが、ニーチェから見ると、すでに神はどこにもいなくなっていて見つからない。なぜ神がいなくなったのか。「私がそれを君たちに言ってやろう。われわれが神を殺したのだ。君たちや私が殺したのだ。われわれはみな神の殺害者なのだ」とニーチェは「悦ばしき知恵」の中で叫んでいる。
 神は人々によって殺され、死んでしまったから、もはや何も人間を支えてくれるものはいない。最高と言われた価値が喪失し、根無し草になった人の前に現れるのは虚しい空虚である。あらゆる存在が意味を失い、虚無の闇夜が覆う。人はニヒリズムの中で生きるしか道がなくなるのである。
 だが、神は本当に死んだのだろうか。ヨーロッパはニーチェが言うようにニヒリズムに陥るしか道が残されていないのだろうか。

以下、明日に続く。
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まだ小生が若い頃(といっても50代の爺さんだが・・)旧東ドイツ・ワイマールにあるニーチェ・アルヒーフを訪ねたことがある。ニーチェは彼が死ぬ直前まで後の家にいたのである。
by Weltgeist | 2012-02-27 22:29


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