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奇妙な言い訳はどこまで信用できるか (No.1303 12/02/06)

 大分県日出町のスーパーで昨年9月、2歳の女の子が行方不明になった事件で、母親が娘の遺体を遺棄したとして死体遺棄容疑で逮捕された。この事件の意外な展開に驚いてしまった。最近の世相からみて母親が子供殺すのは珍しいことではなくなっている。驚いたというのは母親の言い分だ。容疑者は「娘はいなくなったのではなく、自宅で死んでいるのを見つけた」と供述し、さらに「私は殺していない。気が動転し、雑木林に運んで放置した」と説明したという点だ。
 もちろんその言い分が正しいかもしれないが、彼女の言い訳には娘に対する愛情がまったく欠落している。死んでいたとしても、母親なら「もしかしたら生きかえるかも知れない」と思い、必死で病院につれていくだろう。それを雑木林にゴミのように捨てる。そして、多数の警察官を出動させてまで捜査させた。娘への愛情より「私は人殺しではない」といって、自分だけを守りたい身勝手な発想がここには読み取れる。そんな人間の奇妙な言い訳を世間は信用してくれるだろうか。
 奇妙な言い訳で騒がれているのは日本だけではない。例のイタリアで座礁事故を起こした豪華客船・コスタ・コンコルディア号の船長だ。イギリスの新聞 The Telegraph 紙電子版によると、乗客を見捨てて先に逃げ出したと疑われているフランチェスコ・スケッティーノ船長が、自分は逃げたのではない。たまたま救命ボートの上に落ちて無理矢理陸に運ばれたと主張しているという。
 「私は救命胴衣を着用していなかった。乗客に着てもらったからだ。それで救命ボートに備えてあった救命具をとろうとしたとき、つまづいてそのままボートの中に転げ落ちてしまった。それが私が救命ボートに乗っていた理由だ」と奇妙な言い訳をしているという。
 テレグラフ紙電子版では、救助隊が「すぐに船に戻れ」と厳しく命令しているのに、何だかんだと理由をつけて逃げるスケッティーノ船長との緊急通信の模様を添付したユーチューブ映像で見ることができる。この通話を聞くと、船長のいい加減さが如実に分かる。クルーの間では「船長はまるでフェラーリを運転するような速度でコスタ・コンコルディア号を操船した”命知らず”の人」と言われていたという。それなのに、いまもっておかしな言い訳で逃げようとしている、こんなに無責任な船長にツアーの乗客は命をあずけていたのである。
 突拍子も無い言い訳で逃げようとする男の言葉を信じろと言われても誰も信じることはできない。もう悪いことをしたのだから、いさぎよく「私が悪うございました。申し訳ありません」と誤ればいいのに、船長はこの期に及んでもまだ「私は数千人の命を救った」と言い張っている。責任をとるどころか乗客の命を救った恩人であるといいたいようである。何をかいわんやである。
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by weltgeist | 2012-02-06 22:45


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