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夢を見る人々 (No.1140 11/08/20)

 小学生の頃はスコットやアムンゼンの南極探検、スウェン・へディンの中央アジア探検などの「探検物」を読むのが大好きで、自分は大きくなったら未開の地を旅する「探検家」になりたいと真剣に思っていた。それが中学生になって蝶の採集に夢中になると、「昆虫学者」になることに夢が変わっていった。虫好きだったあの頃の自分の信念は不動なもので、「絶対にボクは昆虫博士になるぞ」と思い込んでいたのである。
 だが、その不動の信念は、大人になるに従っていつしか消えてしまう。虫の世界よりもっと面白い山登りや釣りの世界を知って、「俺はヘルマン・ブールのような登山家になって、エベレストに登るぞ」と思うようになり、その後釣りにのめり込むと今度は「アラスカのキングサーモンを釣りたい」となる。
 残念ながらエベレスト登頂の夢は果たせなかったが、アラスカのキングサーモンは釣ることができた。自分が夢想していたことの歴史を振り返ってみると、好みの変遷につれて途方もない夢は次第に現実的なスケールの小さなものとなり、最終的には少し努力すれば実現可能な程度のささやかな夢にまでなりさがっていったことが分かる。最初は壮大な夢だったものが、大人になるにつれて実現が難しいと分かるようになると、現実的な「みみっちい夢」に妥協していったのである。
 子供の頃の夢は可能性を無視した空想の世界でのことだから、それを本当に実現することは困難である。だが、子供時代の夢を実現した人もいる。名前は忘れたが、日本人宇宙飛行士の一人が「小学生の頃から宇宙飛行士になりたかった」と思い、その夢を実現したとテレビで語っていた。宇宙飛行士になることなど途方もない夢だが、それに向かって一直線に進んで行き、ついに夢を実現したというのはすごいことである。
 人は夢を見て、その理想郷に向かって努力をしていく。実現不可能に思えることであっても、それに果敢に挑戦して、ついに夢を実現した人は尊敬に値する。普通は現実の壁に直面して「そんなことできるわけがない」と思うようになり、いつしか夢を見ることさえしなくなるものである。
 大人になることは現実的になることと同意義にとらえられているといっていい。「夢みたいなことを言ってないで現実的になれ」と言われ、夢をつぶされた青年たちは数限りなくいることだろう。だが、現実的であることは必要なことかもしれないが、人間、夢を見ることもまた重要ではないかと思うのだ。
 いつの世にも理想を追い続ける「夢想家」というものはいる。浮き世離れしていて、現実に足が着いていない人だ。ギスギスした効率一辺倒の現代に於いては、まったく受け入れられない人間である。こうした人たちはごく少数派にすぎないが、彼らが思いもかけないことから社会の動きをひっくり返す原動力になるかもしれないのだ。なぜなら画期的な進歩というものはいつもこうした異端な夢想を抱く人の中から生まれ出るからだ。
 常識だけがまかり通る世の中に非常識な夢想を取り込んで、その実現に情熱を傾ける。これって素晴らしいことではないか。しかし、今の世の中では絶対受け入れられない。今は現実が厳しすぎて夢を見ることもできない世の中である。だが、人間、夢を見ることをしなくなったらもうオシマイである。実現可能な常識しか追わない社会は次第に小さくなってやがては消滅するしかない運命にあると言える。
 小生のような年齢になると、残された可能性の領域はどんどん少なくなっていて、夢を見ることもなくなっている。夢を見たところでそれが実現できる時間的余裕もないからだ。だが、それでも小生はまだ夢を失いたくはないと思っている。夢こそ未来の希望と結びつくものと信じているからだ。
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by Weltgeist | 2011-08-20 23:05


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