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アリストテレスの「形而上学」に挑戦中です (No.1021 11/04/03)

d0151247_21235458.jpg 誰もが知っている超有名な本なのに、自分は読んだことがない本って結構ある。漱石の「坊ちゃん」とか志賀直哉の「暗夜行路」なんて国民的人気本だが、今の若者は案外読んでいないんじゃないかと思う。それでいて、そうした本のことが話題になると「ああ、あれはね・・」とか知ったかぶりをしながら冷や汗をかいた経験は誰にでもあるだろう。
 小生にとってアリストテレスの「形而上学」(けいじじょうがく)はそうしたたぐいの本だ。カント以降の哲学書は沢山読んだが、それらはいずれもプラトンやアリストテレスのギリシャ哲学を土台にして発展してきたものである。現代哲学を知る意味でもアリストテレスの「形而上学」などは読んでおくべき最右翼に位置する重要な本である。ところが小生はこれまで「形而上学」を読んだことがなかったのである。
 皆さんは形而上学とはどんなものかご存じだろうか。まだ大学生だったころ、バートランド・ラッセルやシュヴェーグラーの「西洋哲学史」や、山内得立さんの「ギリシャの哲学」で一応アリストテレスのことも学んだつもりだが、本物であるアリストテレスの「形而上学」は読んだことがなかった。だから「形而上学」という言葉が出てくるといつも何か分かっているようでいて分かっていない部分がある思いがしていた。自分の弱点として、形而上学という言葉が喉に刺さったトゲのように感じていたのである。
 そんな長年の弱点を解消すべく、齢(よわい)68歳にして今回、ようやく「本物のアリストテレスの形而上学」に挑戦することにしたのである。だが、岩崎勉さんが、ギリシャ語の原本から初めて日本語に翻訳したという実物を見て少し腰が引けてきた。講談社の学芸文庫一冊に収まった「形而上学」は、文庫本といってもえらく分厚い。計ってみたら本の厚みだけで3㎝、小生が持つ国語辞典より厚いではないか。ページ数は650ページもある。こんなデカイ本とは思っていなかったので、少々ビビり気味になっているのである。
 内容が内容だから速読でパッと読むわけにもいかない。昨日書いたようにゼフィルスの飼育を始めて毎日がてんてこ舞いの忙しさになっている今の小生には、じっくり腰を落ち着かせて読書する時間的余裕がなくなっているのが問題だ。
 本の厚さを見て、もしかしたら途中で挫折するのではないかという嫌な予感がしている。「何も今更古典を読む必要などない。解説書だけで十分だ」という逃げ口上が出てきそうな気持ちになっているのである。ちょうど若い人が村上春樹は読んでも、古典の志賀直哉まで読む時間はないというのと同じ、負け犬の言い訳論理が小生を支配しつつあるのだ。
 自分は哲学で飯を食う専門家ではないし、他にも読むべき本が沢山あるから、「形而上学」にこだわる必要はないかもしれない。しかし、読み始めた本を途中で投げ出すことそれ自体がいやなのである。
 ちょっと気が重くなっているが、とりあえず取りかかった以上は最後まで読み切る気持ちを持ちたいとは思っている。それで、わざわざこのブログで宣言して、「お前はこんなことを書いたのだからもう逃げられないぞ」と自分を縛りたいのだ。
 今日は「形而上学」のあまりにも有名な冒頭の書き出し部分だけでも紹介しておく。これを書けば、自分は最後まで挫折することなく読むしかないと思っているのである。

「すべての人間は生来知ることを欲する。その証拠は感覚に対する愛好である。・・なかんずく眼による感覚が愛好せられる。・・その理由は種々の感覚中この感覚が我々をしてもっともよく認識せしめ、また多くの特性を明らかにするからである」(岩崎勉訳)

 ウーン、興味深い表現ではあるが、小生は「感覚」から始めて王者的な学と言われる「第一哲学」に至る長い艱難辛苦の道を歩まなければならない。とんでもない本に手を付けてしまったが、「すべての人間は生来知ることを欲する」とアリストテレス先生が言う以上、ここは頑張るしかないか・・・。
by weltgeist | 2011-04-03 23:08


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