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我々は負けない (No.1003 11/03/16)

私は裸で母の胎から出て来た。また、裸でかしこに帰ろう。主は与え、主はとられる。主の御名はほむべきかな。
(ヨブ記、1:21)


 大地震の惨状にはただただ言葉を失うのみである。いたるところで悲劇が起こり、人は苦難にあえいでいる。しかし、我々は今回の不幸な災害からいくつかの教訓を得た。「人が生きるとはどのような意味があるか」という、人生における根源的な問いに対する答えのヒントを得たことだ。
 沢山の人の命が失われ、家も壊された悲惨な光景が広がっている。しかし、今回はその数が圧倒的に多かったから我々も驚いているが、冷静になってみるとこうしたことは普段から人間が経験していることである。人は誰もがいつか死ぬのは確かだし、財産を失うのも起こりうることである。
 たまたま今回の地震で沢山の人が一気に亡くなったから目立つが、人は誰もが裸でこの世に生まれ出でて、裸で死んでいく。時間的に長い、短いの違いはあるにしても、これは誰も絶対に避けることのできないことである。今回の災害はそうして生き残った人たちの裸の姿を赤裸々に見せてくれたのだ。
 ともすれば人の価値は家とか財産といった物質的なことで評価されがちだが、人の本質はそんなものではないはずだ。そうした外面的な物をはぎ取って裸になったときにこそ、その人の価値が現れてくるのである。たいへん辛く悲しい逆説だが、この災害でいままであまりにも物質主義的だった我々は「生きるとはどいう意味があるのか」の答えを見た思いがするのである。
 生きているという事実は、あらゆる物事の上に君臨する絶対的なことなのだ。生身の人間が、裸のままでまさに生きているということ、これこそ最高の価値のあるものなのだと思う。家族や家を流され自分だけが生き残った人たちは、この事を切実な思いで実感してくることだろう。
 我々は裸でこの世に生まれ、裸で死んでいく。大地震、大津波はどんなに偉い人も、偉くない人もみな同じ地平に立っていることを明らかにした。今ここに確実に生きていること、そのことにこそ意味があると思う。家や財産、地位、名誉・・・といったことは人の生きる価値においてなんの関係もないのである。
 今度の地震の被害を受けなかった我々と被災者とは魂の結びつきでつながっていることを皆が感じている。1988年にアメリカ旅行したときたまたま旅の途中で立ち寄った小さな博物館を運営している人からさえ、今回の大地震を知って「大丈夫か」と心配のメールを送ってくれた。博物館で撮った彼女の写真を帰国した後に送ってあげて以来何の音信も無かった人が「日本は大丈夫か。私たちは心配している」というメールを送ってきてくれたのである。この地震で世界中が一つにつながったのだ。
 大地震は辛い経験ではあるが、我々はこのことを契機に人は一人ではないということを目覚めた。一人一人は孤立していない。だから、地震でひどい目にあっても決して絶望などすべきではない。むしろ、我々が今なおこの世で生き残っていることに感謝すべきではないだろうか。
 希望を持って立ち上がれ。負けてはならないのだ。
我々は負けない (No.1003 11/03/16)_d0151247_22105968.jpg
地震の震源地から遠く離れたわが家のまわりでは、たいした被害などないと思っていたら、裏山にある石造りの鳥居が、地震で倒れかかっていたのをみつけた。太い石柱が根本から曲がっていて、こんな離れた場所でも被害をもたらす地震の怖さを感じた。
by weltgeist | 2011-03-16 23:26


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