人気ブログランキング | 話題のタグを見る

世界三大悪妻・ソフィア・トルスタヤ (No.911 10/12/07)

 日本三大ソースカツ丼(福島県会津、長野県駒ヶ根、福井県敦賀)なるものがあるそうで、友人の秋山さんがその制覇に福井県敦賀にある有名店にわざわざ出かけて行ったことをブログに書いていた。期待のソースカツ丼の「カツは健康保険の差し歯では咬み切れないほど筋が多くてチョー硬かった」という。ちなみに秋山さんは歯科医師で、差し歯は専門家。その彼が硬いカツを食べると「繊維を噛み切る音がピシピシと口腔内にこだまする。なのに肉は薄い。***軒の拘りの厚さ8mmのカツは箸で切れるほど柔らかく・・・無かった」といって嘆いていた。
 グルメである秋山さんは「三大」のテーマにこだわり、日本三大スイーツの街(神戸、自由が丘、長野県佐久市)、日本三大ソバ、饅頭等々、様々な評判の三大お店、街を制覇するが、今回のソースカツ丼は、創業70年来の使い古した油で揚げたのか、食べたあと「胃が気持ち悪いよ~ 」という状態になり、最悪の結果になったようだ。彼にとっては「日本三大ガッカリ(沖縄守礼門、高知はりまや橋、札幌時計台)というのがあるが、ワタシにはそれ以上のショックだった。」と書いている。
 小生にとって三大となると、世界三大悪妻であるソクラテスの妻・クサンチッペ、モーツアルトの妻・コンスタンツェ、そしてトルストイの妻・ソフィアが思い浮かぶ。ちょうど15日前の11月20日がトルストイ没後100年にあたり、それに合わせて「終着駅 トルストイ最後の旅」という映画(クイーンでアカデミー主演女優賞をとったヘレン・ミレン主演)が上映されている。小生この映画を見に行こうと思っていたら、タイムリーなことに5日の日曜日に「トルストイの家出」という番組をNHKが放送していた。この番組ではトルストイとソフィア、二人の日記を検証しながらトルストイがなぜ家出しなければならなかったのか、その過程を時系列で追っていて興味深かった。
 風評とは恐ろしいもので、一旦トルストイの妻は世界に名だたる悪妻という噂が流れると、もうそれを覆すのはむずかしい。人は頭からソフィアは悪妻で、トルストイは気の毒な被害者と信じてしまう。しかし、今回の番組を見て、そうした先入観を盲信するのは危険であることを思い知らされた。どうやらソフィアはいわれているほど悪い妻ではなかったのではないかと思えてきたのである。
世界三大悪妻・ソフィア・トルスタヤ (No.911 10/12/07)_d0151247_21193027.jpg
 大貴族の四男として生まれたレフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(1828年9月9日-1910年11月20日)は、1847年、19歳の歳でモスクワから200㎞南にあるヤースナヤ・ポリャーナ(明るい野原という意味)の土地を親から相続。領地の広さは1500ヘクタールもあり、1000人の領民を抱える領主として豊かな生活をしていた。しかし、若い頃は誰にもあるようにトルストイは奔放に生き、放蕩を重ねていた。そして24歳で処女作「幼年時代」を発表。作家としての道も歩み始める。
 トルストイは34歳のとき宮廷に仕える医師の次女ソフィアを恋するのである。このときの彼女は18歳、とても聡明な娘だったという。きっと「戦争と平和」に出てくるナターシャみたいに、可愛いらしく魅力的な娘だったのだろう。1862年トルストイはソフィアに「愛している」と言うプロポーズの手紙を書き、その一週間後にヤースナヤ・ポリャーナで二人は結婚する。
 ソフィア・トルスタヤは13人の子供を産みながら農場をも経営する有能な妻となった。そして執筆する夫のわきで資料集め、清書など一手に引き受ける献身的な妻としてトルストイに尽くすのである。妻の助けを得て「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」を発表し、トルストイは押しも押されぬ人気作家になっていく。作家としての名声、優しく有能な妻と子供たち、有り余る財産。トルストイはすべてを手に入れた幸せの絶頂にあった。彼の日記には妻への愛がしばしば吐露されている。それがどうして妻ソフィアが世界に名だたる悪妻となり、巨匠は家出をしなければならなかったのだろうか。

以下は明日書きます。
by weltgeist | 2010-12-07 22:12


<< トルストイの家出について (N... オオムラサキの冬ごもり (No... >>