一昨日の還暦祝い鮎釣行会に参加された夢枕貘さんから、ブログに実名で書いてもOKというお許しと、その日書いた署名入りの原稿をもらったので、今日は釣り仲間から見た売れっ子作家の姿について書いてみたい。獏さんと知り合ったのはもうかれこれ15年くらいは経つだろうか。以来、作家としての獏さんと釣り師としての獏さんを見ていて、この人くらいすごい人はいないといつも感心している。
まず驚くのは毎月書きおろす原稿の量だ。以前聞いたとき、毎月600枚以上の原稿を書いていると言っていた。小生がこのブログで一回書く量は原稿用紙で2枚強。毎日書いたとしても月にせいぜい60枚程度である。その10倍は書いているというから驚いてしまう。 それだけ沢山書けるのは、獏さんの原稿を書くフットワークが非常に良いからだ。普通の人が仕事をする場合、何らかの道具や準備が必要である。例えば植木屋さんなら剪定バサミ、サラリーマンなら各種の資料、書類等々、ところが獏さんに必要なものはペンと原稿用紙、それに出先にファックスがあればすべて足りてしまう。獏さんはワープロで打った原稿をメールで送るなんてことはしない。原稿はペンによる手書きで、出来上がったものはファックスで送信している。機械や物に頼らず、自らの頭脳で仕上げていくのである。 以前、獏さんとアラスカの北極圏に釣りに行ったとき、世界最大のイスラム教モスクを建てたオスマン帝国のスルタンについての原稿をアラスカで書いて送らなければならないと言っていた。見ると資料らしき物は何も持っていないので、「獏さん参考資料は? 」と聞いたら、指で頭を指して「全部ここに入っているから資料はいらない」と言っていた。こうした歴史物では年代とか、場所、人の名前、事件などの具体的な資料がなければ何も書けないのが普通である。ところが、獏さんの頭の中にはそうしたものがすでに入っているから邪魔な資料など持ち歩く必要はないのである。 獏さんの特技はどこででも原稿が書けることだ。見ていると飛行機の待ち時間など、ちょっとした時間があるとせっせと原稿を書いている。出先で資料もなしに原稿が書けるのだから、何も自宅の書斎にこもっている必要はない。釣り場に近い宿に投宿して昼は釣り、夜は原稿を書いて朝ファックスで送ればすべてOKである、これが獏さんの原稿執筆スタイルのようだ。 だから我々が釣りのお誘いをしても、いそいそ出て来れるのだ。ただし、締め切りは毎日毎日ある。今日は30枚書いたら明日は20枚と、ひっきりなしに締め切りは迫ってくる。普通の人ならすぐにギブアップする量だが、獏さんはむしろそうした沢山の原稿を抱えている方がいいらしい。これも以前聞いた話だが、「僕は毎日書き続けている方が調子がよくなる」と言っていた。むしろ締め切りに追われるのを楽しんでいるような様子だった。獏さんにとっては締め切りに追われる毎日が日常だから苦にならないのだろう。「明日までに原稿20枚書かなければならないから、釣りなどいけない」なんてことは全然考えないのである。 しかし、我々のように休日をまるまる一日使えることは獏さんの場合ないようだ。釣り場に来ている時でも、「今日は午前8時まで△□社の分20枚、そのあと10時まで○×社の原稿を10枚書いてしまうから、皆さんと合流できるのは11時過ぎだ」というようなことをしばしば言って、旅館で原稿を書いている。 不思議に思うのはそんなに時間通りに原稿が書けるのかということだ。小学生の作文ならともかく、一流作家の文章である。それをいつも言われた通りの時間で仕上げてくる。小生が毎日書いているたった2枚のブログの原稿だって、調子の良いときは2時間くらいで出来るが、少し手間取ると5~6時間くらいかかることがある。わずかな時間で数十枚もの原稿がすらすらと書けるのはやはり才能の違いなのだろう。 今回、何故そんな風に書けるのかを獏さんに聞いてみたら、驚くべきことを教えてくれた。「僕は時速5枚が原稿を書くスピードだから、20枚なら4時間で書けます」というのだ。いや、それどころか、書き始めると次第にスピードが上がって時速8枚くらいのペースになると言う。驚くべき早さである。 「でも、書いているうちに色々迷って、時速が狂うことがあるでしょう」と聞くと、 「書き始める前、だいたい30分くらいで構想を練っておき、それが決まればあとは迷わずに書いていける。仮に、途中で新しい構想が浮かんできても、それは物語の自然な成り行きだからそっちの方に素直に従って書いていく」というのだ。 ここにおいて天才獏さんの秘密が明らかになった。原稿を書き始める前にすでに全体像が出来上がっているのだ。だから後はペンが進むがままに書いていけばいいわけである。これって、常人ではとても出来ないことである。 そんな獏さんが締め切りをクリアーして宿から出てくるときの目は生き生きとしていて、「さあて、今日も釣るぞーっ」という雰囲気が漂っている。そして、釣り場に入るとまるで子供のような無邪気さで釣りを楽しんでいる。うれしそうな獏さんと一緒に釣りをしているだけで、こちらも和やかな雰囲気になってしまうのだ。 今回の獏さんの話で小生が一番うれしく思ったことは、10年ほど前に秋田県の阿仁川に一緒に鮎釣りに行ったとき、彼は忙しくて前日まで釣りらしい釣りをしていなかった。そこで帰京する最後の日に、小生が「ここだ」という場所を選んで釣ってもらったら、ほんのわずかな時間で40数尾の鮎を釣り上げた。この時のことを思い出して「僕の日本国内最高の釣りはあの阿仁川での鮎釣りだった」と言ってくれたことだ。 あの時の獏さんは、帰りの飛行機の時間が迫っていて自分の釣りをする時間があまりなかったにもかかわらず、取材に付いて来たスタッフに自分の竿を渡して、「君もやってみたら」と言っていたことだ。人生最高の釣りの時においても、その喜びを他の人とも分かち合って味わう。小生は獏さんならの人柄を見た思いがした。
by weltgeist
| 2010-09-21 20:20
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