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自然に帰る生き方 (No.793 10/08/09)

 今日は人があまりふれられたくないが、かといっていつかは真剣に対処しなければならない人の死とお墓の問題について、お盆も近いことから書いてみたい。普通、人が死んだら焼き場で骨にしてお墓に入れて永眠させるのが古来からの日本的なやり方である。しかし、最近この形が崩れてきているらしい。死者をお墓に入れるのではなく「自然葬」と言って、遺灰を海や川にまく散骨をする人が多くなっていると昨日の朝日新聞に書いてあった。
 お墓をつくらないのだ。いやそれどころか、最近は以前からあった墓から遺骨を取り出して、散骨する「墓じまい」ということが次第に増えてきていると朝日新聞は伝えている。墓じまいとはいままであったお墓をつぶし、掘り出したお骨を別な場所で散骨して「墓無し」にするということである。そうなると「ここが永遠の眠りの地」と思っていた死者の魂は、突然墓を掘り起こされ、眠りから覚めざるを得なくなる。眠っている死者の立場からすれば、きっとびっくりするだろう。まさにハムレットの墓堀人を思わせるような極端なことまで行われるようになったのは日本人の葬儀、墓に対する考え方が変わってきたからである。
 少子化、核家族化が進む今の社会では、地方の墓地の空洞化と都会での墓地不足が深刻化している。田舎では遺族が遠くに住むから墓の管理がおろそかになるし、都会は墓地不足から最近はマンションのロッカー室みたいなお墓まで出来ている。そんな社会の動きに墓が果たして必要なのかと疑問に思う人が増えきているのだ。自然葬に踏み切る人が多くなってきたのは、死者を優しく送り出すには、暗くて狭い墓に押し込めることではなく、もっと広い自然の中に解き放してあげるという思想が芽生えてきたからであろう。
 昔ガンジー首相が死んだとき、自分の遺骨をガンジス川とヒマラヤの空にまいてくれという遺言を残し、それを実行しているニュースを見て、すごいと思った。そして、このころから自分も墓などいらない。どこか思い出深い場所に散骨して欲しいと思うようになってきたのである。
 今の小生は死んだ後の自分がお墓に入るなんてことは望んでいない。お墓のような場所に押し込められるのなんてまっぴらである。死んだら遺骨を粉にして某所(すでに決めてあるが、差し障りがあるから具体的な場所は秘す)に散骨して欲しいと妻や友人に頼んである。自分の死後その遺言が実行されるかどうかは分からないが、とにかくお墓はいらない主義である。
 人間が死んだ後どうなるか、それは誰も分からないことである。しかし、もし魂というものがあるとすれば、少なくとも死んだ直後に肉体から離れていることだろう。死んだ遺骨は大切かもしれないが、そこにもはや魂は宿っていないと思っているのである。だから、それがお墓に入れられようが海や川に流されようが、しょせんは大きな違いはないと考えている。死んだ人の肉体は地に帰り、魂は黄泉(よみ)の国に向かうのである。
 マルティン・ルターによれば、人間の肉体とは罪そのものであり、死して肉体の束縛から離れた魂が初めて救われるのである。死んだ肉体にはすでに魂はいないのだ。格式張った仏教の葬儀のように、死者を拝み、位牌や曼荼羅拝んだところで、そこに魂がない以上、意味はないのである。むしろ葬儀に参加した人たち一人一人が死者のことを心の中で思い、冥福を祈るだけで十分ではないかと思うのだ。
 魂というものは時間や空間の制約などない世界にいるのだろうから、墓参りもする必要性を感じない。どこにいても、その人のことを思い出すだけで、魂の交流が出来ると信じているのだ。仰々しい坊さんのお経など無くても十分死者の魂と交流は出来るはずだ。目を閉じて、そっと心の中にその人を思い浮かべるだけで十分である。
 土から生まれた我々の最後は土に帰って消えていく。自然葬は極めて自然にかなった葬儀の仕方ではないかと思うのだ。小生は自分の人生は大好きだった大自然の中での散骨で締めくくりたいと思っているのである。
自然に帰る生き方 (No.793 10/08/09)_d0151247_18355429.jpg
ライプツィヒの聖トーマス教会内部の床に埋め込められたバッハのお墓。彼は1723年以来この教会の音楽監督を勤め、数々の教会音楽の傑作を作曲した。そして、1727年にはこの場所で「マタイ受難曲」の初演もしている。バッハが死んだのは1750年7月28日。小生は「バッハ没後250周年記念年」である2000年8月にこの教会を訪れた。この写真を撮ったのは命日である7月28日の直後だったので、墓の上にはまだ花が沢山飾られていた。ヨーロッパの教会ではこのように有名な人を礼拝堂の床に埋葬する習慣があり、普段はその墓の上を沢山の人が歩いて行っている。
by weltgeist | 2010-08-09 21:29


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