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まもなく満開となる花菖蒲の撮影に備えて (No.742 10/06/13)

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 近くの公園の菖蒲がほぼ八分咲きになってきた。普段は閑散とした公園には沢山の人が来ていて、露店まで出る縁日のようなにぎわいになっている。公園で目に付くのは最近、一眼レフのデジタルカメラを持った人が増えたことだ。それで思い思いに花の写真を撮っているが、皆さんうまく撮れているのだろうか。
 せっかくいいカメラを持っているのだから、どうせ撮るなら花をできるだけ美しく撮ってあげたい。ただ花が写っているだけでは能がない。一工夫して、何か自分なりの思いを込めた写真を撮りたいと思う。だが、そうなると結構悩ましい問題が出てくる。小生が行く公園の菖蒲は、あたり一面菖蒲だらけで、被写体には事欠かない。しかし、それぞれがきれいな色形のものもあれば、半分枯れたり、形が崩れたものまで様々である。そうした菖蒲の花の集団のどこをどう切り取るかが撮影者の能力にかかってくる。広い敷地一面に咲いているところを、広い絵で撮るか、それとも花一本だけを切り取って撮すか、あるいは小集団として撮るか、光線状況なども考えるとちょっと撮り方を変えるだけで全然違った印象になってくる。ここにカメラマンとしての腕の見せどころがあるのだ。
 しかし、菖蒲のような花の写真は易しいようで意外に難しい。小生は2005年にD70を購入して以来、毎年のようにここの菖蒲をデジタルで撮っているが、いまだに気に入ったように撮れたためしがない。確かに画面に花は写ってはいる。でも、ただ写っているだけで、「それでどうなんだ」という絵しか撮れていないのである。
 小生に写真を教えてくれたW先生は、「写真とは引き算だ。余分なものを切り捨てて、被写体が語り出してくるような写真を撮れ」といつも厳しく教えていた。だが、小生が撮った花菖蒲の写真には、多少の引き算はあっても被写体がこちらに語りかけてくるまでのクオリティがない。単なる記録の範囲の花の写真でいつも終わっているのである。
 上の写真は周囲を暗めに引き算して花が浮き上がるように意図的に撮ったカットである。7~8本がまとまって咲いている花の周囲をアンダー気味にし、花以外の暗いところはつぶれるくらいコントラストを強く撮ってみた。カメラはD300、レンズは17-55㎜/F2.8 である。ニコンのデジタル一眼には「アクティブライティング」といって、陰の部分が暗くなりすぎないよう、光が全体的に回る設定がある。これだと暗部まで光がきて写真的には破綻がないものが撮れる。しかし、実は小生、そうしたフラットな写真は好きではない。明暗のコントラストがはっきりついたものが好きである。この写真もアクティブライティングをオフにし、花が浮き上がるように撮ったがすこし周囲を暗くしすぎたかもしれない。
 ちょっと残念だったのは、手前の花ばかり気にして奥の花に、伸びてきたつぼみが被さり、花の一部が隠れているのを気づかなかったことだ。 このときは少しアングルを変えて、つぼみをよけた位置から撮影したものもあった。しかし、それだと光の状態が全然違っていて、気に入ったイメージにはならない。たかが花の写真といってもこのようにちょっとした違いで全然違った結果になる。画像から撮影者の「思い」がにじみ出てくるような作品を撮りたいと思っているが、なかなか現実は厳しいのである。
まもなく満開となる花菖蒲の撮影に備えて (No.742 10/06/13)_d0151247_23234274.jpg
 こちらの写真は花菖蒲を横から一本だけ切り出して見たカットである。ここでは光が全体にきれいに回って撮れてはいる。しかし、「撮影者の思いがにじみ出ているもの」というW先生の教えが生きた写真とは残念ながら言い難い。左下に余分な花が自己主張しているし、細いつぼみが一本邪魔をしている。引き算が完璧ではない分だけ印象が薄れてしまうのだ。
 このように毎年花菖蒲を撮っていながら一向にうまく撮れていない自分に少し苛立っている。気に入ったカットが撮れるのはいつのことだろうか。幸いなことに、花は蝶や鳥、魚のように飛んで逃げることはない。一旦咲けば少なくともしばらくはチャンスがあるし、失敗しても来年また同じように咲いてくれる。今年駄目なら来年があるだろう。しかし、そんな消極的なことを言っているからうまく撮れないのかもしれない。満開までの間にもう一度根性を入れて再挑戦し、納得のいく写真が撮れるようになりたいとは思っている。
by weltgeist | 2010-06-13 23:57


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