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山本周五郎、「樅の木は残った」と鳩山辞任 (No.733 10/06/04)

山本周五郎、「樅の木は残った」と鳩山辞任 (No.733 10/06/04)_d0151247_18413913.jpg 鳩山前首相の突然の辞意表明で、民主党は大揺れしている。党内で隠然たる権力を保持していた小沢幹事長が鳩山前首相の刺し違え辞任で引きずり降ろされ、菅直人新首相が本日誕生した。これら民主党政権内での一連の騒動を見ていると、山本周五郎の「樅の木は残った」を思い出す。1660-71年に起こった仙台伊達藩のお家騒動を扱った「樅の木は残った」は、幕府が強大になりすぎた伊達藩を取りつぶそうと、伊達藩の重臣と密かに結託した陰謀を巡る史実を書いた山本周五郎の傑作小説である。
 壮烈な政治闘争の最後は主人公・原田甲斐が自らの命を投げ出した刺し違え事件で終わる。しかし、原田は伊達騒動で家臣を惨殺した悪人というのが世間一般からの評価であったらしい。ところが山本は「原田は幕府と私利私欲に目がくらんだ悪家老の陰謀から藩の危機を救った本物の侍」ととらえて「樅の木は残った」を書いているのである。
 物語は伊達家の当主・綱宗が難癖をつけられて逼塞(ひっそく=隠居)を命じられ、その原因を作ったとされた4人の家臣が暗殺されるところから始まる。実はこの事件は、幕府の大老、酒井雅楽守(うたのかみ)が、伊達家62万石を取りつぶそうとして、藩の家老、伊達兵部とグルになって行った陰謀の始まりであった。伊達兵部は大老、酒井からうまく伊達家をつぶせれば30万石を与えられるという密約をもらっていて、綱宗を陥れるために使った4人の家臣を口止めのため暗殺するのである。
 だが、同じく伊達藩家老だった原田甲斐は、暗殺事件を追っていくにつれて幕府と伊達兵部との間で練られている陰謀を知る。主君に忠実な彼はこのたくらみを何とか阻止しようと思う3人の忠臣と密かに連絡をとりあって極めて慎重に兵部への対抗措置を考えていく。ところが、このあと原田がとった行動が世間の常識的な目では分からないようなものだった。陰に陽に権力を駆使して、次第に陰謀を仕上げていく兵部に原田は取り入るようになっていくのだ。その態度は徹底していて、原田は最初に約束した忠臣たちとも袂(たもと)を分かつように装って、伊達兵部の忠実な家臣として振る舞うのである。
 兵部のたくらみに乗った原田の評判は芳しくないものとなり、心ある者は「奴は裏切り者だ」と見なして離れていく。だが、それは原田の真の思いを隠すための行動であった。そのために彼は秘密の仲間たちさえ敵とみなすようなふるまいをあえてするのである。原田は一切自分の真意を現すことなく、誰にも理解されない孤独に耐えていく。信頼する人から正面きって罵倒されるような屈辱をもじっと我慢して、静かに敵の懐に忍び寄るのである。
 以前、同じ山本の作品である「ながい坂」の時も書いたが、当時の侍の精神を貫くものは「武士道」である。だが、原田を初めとする藩士たちのそれは新渡戸稲造が「武士道」で語ったような、理想的な美しいものではなかった。実際の武士は貧しく、厳しい身分制度の中でがんじがらめになりながらもがいている哀れな存在でしかない。そんなつらく厳しい武士の生活において、原田はただ主君のためだけに自らの命を差し出すのである。
 原田は大老が兵部と取り交わした密約書を証拠として提出するところで、暗殺者に斬殺される。歴史上は「原田が大老邸で狼藉をはたらいた」から殺されたと言われていたが、「樅の木」では原田が自らの命を賭しての陰謀阻止しようとして、敵に斬り殺されたように書かれている。
 歴史的には原田斬殺のあと、兵部は高知の山内家預かりとして追放、伊達藩は安泰を保つことが出来たとあるから、原田が命がけで守った目的は達成できたといえる。しかし、このことで、原田の家族は子供4人と長男の5歳の息子から生まれたばかりの赤ん坊まで全員が切腹という厳しい処分を受ける。
 原田は武士という立場に置かれた自分を全うした。友を欺き、家族を死に追いやり、自らも死んでいくことでお家の安泰を保つことができたのである。それは鳩山前首相が小沢党幹事長と刺し違えることで、退陣したことと似ている。ただ、原田の決意は徹底した滅私で、決してブレない。どんな友人の忠告も、家族の愛をも振り切って冷徹に意志を押し通した。一方の鳩山前首相はどうか。彼は優柔不断で政治家としての強い指導力にも欠け、小沢幹事長と同じ金銭問題もあった。しかし、決定的なのは小沢幹事長の操り人形でもあったことだ。それが追いつめられた最後の最後に人間的にまっとうな気持ちを持ったのではないかと思う。「自分も辞めるから、小沢幹事長も辞めて欲しい」と言って、自分を陰で操ろうとする闇将軍と刺し違えた。彼は自らの身を挺することで政治の暗部をぬぐい去ろうとしたのだと思う。これは世間で言われているような「逃げた」ことではないと、小生は信じたい。
 400年前の武士の世界では信念のためには命を賭けることは美徳とされた。それが、現在もなお生きていたことにある種の新鮮さを感じたのである。世界を見渡すと、同じようなことをやる人が沢山いることが分かる。鳩山前首相のようなダーティなものではなく、人類の幸福のためにすべてを捧げた人たちである。しかし、中には別な理想に命を賭す人もいる。先日、ロシアの鉄道を爆破したチェチェンの若者やイラク、ニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んだ自爆テロ犯たちもそうだ。残念なことに、彼らのなしたことは、間違った信念に基づいた点で無駄死にではあったが・・。
by weltgeist | 2010-06-04 22:14


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