西田幾多郎(にしだ きたろう)の無、その1、純粋経験 (No.659 10/03/01)

d0151247_22432448.jpg No.619で「無」とはなんぞやというスレッドを立ち上げ、現代の物理学でいう無から禅、とくに道元が正法眼蔵で語っている「無」について5回に渡って書いてきた。そして最後のNo.642で今後は西田哲学における「無」を書きたいと予告しておいた。今回はお約束の西田幾多郎(1870年6月17日-1945年6月7日)の「無」を取り上げたい。しかし、西田編では必ずしも無だけを扱う予定ではないので、タイトルの「無とはなんぞや」とは別に「西田幾多郎の無」という表題に変えさせていただいた。
 なお、西田の言っていることは非常に分かりにくく、退屈な内容になることが予想される。恐らくこのブログを読まれている方の大半、90%くらいの人はほとんど興味の対象外の面白くないことがらと映るだろう。そうした方には申し訳ないが、この項はスルーしてもらいたい。今回の西田編は自分自身の西田哲学理解のために書いたものとご理解いただき、少しの間退屈な話題を書かせてくださるようお願いします。

 西田 幾多郎が「善の研究」を発表したのは1911年(明治44)1月である。以来日本哲学界のバイブル的存在として、長く読み継がれている。しかし、読まれている割にはその内容を理解した人は少ないのではないだろうか。西田の記述は極めて難解で、読む人を絶望の淵に誘い込むほどである。彼の思想は善の研究をスタートに微妙に変わっていくのだが、それでもこの善の研究を理解すること無しには先に進むことが出来ない。そこで、小生も先輩に習って、善の研究から西田の無を追ってみたい。
 善の研究は以下の有名な文章から始まる。とても難しい言い回しをしているが、まずはそれを読んでもらいたい。ここで語られる「純粋経験」という言葉がスタートラインである。

「 経験するといふのは事実其儘(そのまま)に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋といふのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、毫(ごう)も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいふのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいふような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいふのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。」(岩波書店、西田幾多郎全集1-9、以下同じ)
 
 難しい言い回しをしているが、純粋経験とは何か、おぼろげながら分かっただろうか。純粋経験とはまさに我々が物を知る時、「自己の細工を棄てて、事実に従って知る」ことである。たとえば「これはバラの花である」と知る時、「これは」、とか「花」という言葉で区分される前に、我々はとにかく花を「事実そのままに」見ている。そこは「これ」という主語も「花」という述語も現れる以前の、原初的な状態である。主観もなければ客観もまだないという状態が純粋経験である。
 では、ここで言う「自己の細工」とはどんなことだろうか。西田は西洋的な物の考え方を想定しているのである。「これはバラである」と分かるのは、私が赤い色をした花を見ているからである。私無しにバラの花があるとは判断できない、というのが西洋的な考え方である。デカルトが「我思う故に我あり」と言ったように、私という判断する主体がなければ、客観も存在しえない。そういう西洋的な考え方に、西田は最初から違ったアプローチをとるのである。
 私がバラの花を見ているとき、西洋的認識論では私という主体と花という対象(客体)という構図の下に認識している。私も花もあらかじめ決められた枠の中で認識されるのだが、そうしたことって物の真理をとらえていると言えるだろうか。主体、つまり私という色眼鏡でしか対象を見ていないかもしれないのだ。むしろ、そうした主客の枠を取り払って、プリミティブなところで見直すことが、真理追究の道ではないかと西田は考えるのである。
 最初は私という意識もなければ、花という客観もない。ただ、花を見ていることがあるのである。とすれば、私が花を見ているということは、花が私を見ていることでもある。いや、私が花そのものになることでもあるのだ。これについて西田は「我々が物を知るということは、自己が物と一致するというにすぎない。花を見た時はすなわち自己が花となって居るのである」(1-76)と言っている。
 花を見る私は同時に花になっている。どこかで聞いた言葉である。そう、道元禅師が正法眼蔵古鏡で述べたことである。西田は自分の哲学の根底にすでに禅の考え方を導入しているのである。
以下明日に続く
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by weltgeist | 2010-03-01 17:31


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