人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2010年東京フィッシングショー (No.643 10/02/13)

 毎年恒例のフィッシングショーを見に横浜まで行ってきた。あいにく天気が悪く、寒い一日だったが、お客さんの入りは昨年同様悪くはないようで、不景気な世の中にしては少し希望が持てそうな人出であった。釣りは不景気になると強くなると言われる趣味である。お金がかからず、新鮮な食材が手に出来る一石二鳥のものだから、こういう時期には他の業界よりましなのかもしれない。
 釣りには隠された底力がある。食事に事欠くような苦しい状況になっても自分で食材を調達することが出来るのだ。小生の祖父は静岡県のアユ釣りの名人で、第二次大戦中、食料が無くなったとき安倍川にアユ釣りに行って、沢山のアユを釣ってきてくれて助かったと父親が話していた。いくら不景気といっても、ここまでの非常事態はないだろうが、抜群に新鮮な魚が食べられるだけでも、釣りは絶対お勧めの趣味なのである。
 そんな厳しい状況に合わせて釣り具メーカーも今年のショーではお安く買える釣り具を出してくるかな、と少し期待していた。しかし、実際には世の中の動きとかけ離れた高級品志向の製品が多くて、彼らの販売戦略に少し疑問を感じた。
 今回のフィッシングショーを見て、釣りはもはや庶民が気楽に出来る趣味の域を離れてしまったと思ったのである。最新の釣り具は格好良く、機能もすばらしいが、とにかく全般に値段が高くて簡単に買える物が少なくなってきている。釣りはお金がかからない趣味とは言えなくなってきているのである。以前から40万円もするバカ高なアユ竿などがあったが、デフレが進行して全般的に物の値段が下がっている中で、ここまで高い物を強気で出すメーカーの自信はどこから来ているのかと、人ごとながら気になってしまったのである。
 それでも展示された新しい竿を見てしまうと、小生の心も浮き足だってしまう。もう無駄遣い出来る身分ではないのに、手に持った新製品の感触が忘れがたく、「欲しい、欲しい症候群」にかかってしまうのである。昨年も、一昨年も同じような「新製品欲しい症候群」にかかり、これから抜け出すのがたいへんだった。今日も見た釣り竿が「買って欲しい、買ってくれ」と嘆願しているように聞こえて来たのである。
 その意味ではメーカーの宣伝作戦は成功しているのかもしれない。「目の毒」を見た思いはしばらくとれないだろう。しかし、家に帰って自らの現実に立ち返れば、そうしたものは諦めるしかなくなる。無い袖は振れないからだ。欲しいけれど買えない。これは何も釣り具に限ったことではない。高級な洋服や車、カメラ等々、ありとあらゆる物の誘惑がまるでシャワーのように我々を襲い、そのギャップに現代人は不断に悩まざるを得ないのである。
 昨日の道元禅師ではないが、もし無心になって、何事にも欲望を感じないようになれば素晴らしいことだが、そうは問屋が卸さない。人間、限りなく立ち現れる「欲望の煩悩」から抜け出すことは出来ず、死ぬまでこのギャップに悩まされ続けることだろう。
2010年東京フィッシングショー (No.643 10/02/13)_d0151247_22111362.jpg

by weltgeist | 2010-02-13 22:53


<< 海外の日本食事情 (No.64... 「無とはなんぞや」その5、禅と... >>