デューラーの「メレンコリア1」と小生の憂鬱について (No.540 09/10/30)

 今日はすこぶる憂鬱(ゆううつ)である。実は今夜から仙台に20人ほどの人と旅行する予定をしていたのだが、まだ足腰の状態が芳しくなく、参加を断念したからだ。一緒に行く人たちの多くは外国人で、話す言葉も英語なので小生の貧弱な英語がどこまで通じるか心配なところはあった。しかし、彼らと共に行動することで多少なりとも英語の会話力がアップするかもしれないと期待していたのだが、残念なことになってしまった。一緒に行く予定をしていた人たちには迷惑をかけてしまったこと、申し訳なく思っている。
 それですっかり気が滅入っているのである。今日のような憂鬱な気分をうまく表現している絵があるとすれば、それは下にあげたアルブレヒト・デューラー(1471-1528年)の「メレンコリア1」が一番であろう。1514年に制作されたこの版画は、エングレーヴィングと言って銅版の上をBurinと呼ばれる彫刻刀で彫ったもので、わずか18.8㎝X24㎝の小さなものであるが、気が遠くなるほど無数の細い線で彫刻されている。この絵の質の高さはいうまでもないが、天使とキューピッドと思われる人物が、考え事をするように座っていることについて、「なぜ彼らはあんな風にしているのか」昔から様々な解釈が言われていた。たった一枚のこの版画について600ページもの本を書いた人もいるくらいである。
 デューラーは人間の性格を「多血質、胆汁質、粘液質、および憂鬱質」の4つに分類されるとし、自分は憂鬱質、すなわちメランコリーな人間と考えていたらしい。有名な古典美術評論家、パノフスキーによればこの絵は憂鬱の3つの形態のなかの一つ、芸術家の憂鬱を描いたものだそうである。とすればそれはデューラー自身の憂鬱である。メレンコリア1が描かれた1514年には彼の母が63歳の誕生日を迎えた後すぐに亡くなっている。天使のスカートの上に鍵束があるのは母親への思いが込められたものでもあると解釈する人もある。
 しかし、小生ごときがこんな謎めいた名画について勝手な解釈を述べる僭越なまねは避けようと思う。ただ、みんなと仙台に行く思いが遂げられなかった小生の無念さをこの絵が慰めてくれるかもしれない。今夜はこの絵をじっくり鑑賞して過ごすつもりでいる。
*デューラーについては、以前彼の自画像について書いたものがあるので興味のある人はこちらも参照してください。
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アルブレヒト・デューラー / メレンコリア1 (部分)/ エングレーヴィング / 1514年 / 18.8㎝X24㎝。小生はこの版画の現物をロンドン、大英図書館で見たが、日本では新潟県立近代美術館に所蔵品があるという。絵の大きさは想像していたものよりずっと小さい。ところが、ものすごく繊細な細い線は一本として迷いがなく、見ていて「ハァ、何だこれは」とため息が出るほど見事に彫られている。デューラーの才能のすごさが感じられる強烈な版画である。
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by weltgeist | 2009-10-30 16:26


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