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人生のはかなさ、唐木順三・無常(4 最終回) (No.2088 15/11/16)

 今日がこれまで続けてきた唐木順三著「無常」の最終回です。
 道元は悟りを得れば、山が流れ、川が止まるほど違った世界が見えてくると言っていた。しかし、悟りによって見えてくる世界とは、はたして山が流れ、川が止まるような変わったものだろうか。道元は別なところで「雪上に霜を加える」(正法眼蔵 菩提発心)ような世界とも言っている。雪の上に霜が降りてもちょっと見た目では変わらないけれど、それでも何かが変わっているはずだ。雪よりさらに白さが増している、これが真実の姿だと道元は言いたいのだろう。だが、そのためには意識は最高度に先鋭化されていなければ、白さの違いも見つけられない。
 では心身脱落して先鋭化した意識を得た人に世界は実際どのように見えているのか。道元は正法眼蔵第二十九、恁麼(いんも)で「身すでにわたくしにあらず、いのちは光陰にうつされて、しばらくもとどめがたし。紅顔いづくへかさりにし、たずねんとするに跡形ない」と言っている。死が刻々と近づく無常な状況は悟りを得ても変わらないのだ。ここでいう恁麼という言葉の意味を、唐木は佛教辞典から、「そのまま、ありのままの意と解する」と言っている。そうなると、「何の因果もなく、理由もなく、起こり、滅する。生滅、生死には前後の脈略もない。前後祭壇である。忽然と起こり、忽然と滅する」P.310 世界そのままが悟りの後にも見えてくることになる。極楽浄土の救いを求めて参禅しても、無常な世界は変わらないと言う。そうなるとどこに救いがあるのだろうか。
 だが実際は雪の上に積もる霜のように、変わらないようでいて変わっている。「生まれる、死ぬる、咲く、散る、すべて起である。・・・花は衆法合成の場だから、まさに無常である。花ははかなくうつろふものである。しかし、その無常においてほかに花はありえない。・・・無常なる花において宇宙の全力が集中的に表現されてゐる。・・・一切が無常であるというところでは、無常への詠嘆は意味をもちえない」PP.349-350 という言葉は、「無意味なことの無限な反復であった虚無の時間を荘厳光明の時間」として受け入れることである。それによって「ニヒルこそがリアリティになる」PP.327-328 。我々には無常にしか見えない世界が身心脱落した人には極楽浄土にみえる。無常はもはや嘆きの対象ではない。ニヒルな現実、それを道元はニヒルに受け入れるのである。死人のように生きることの極致は、虚無的世界を全身全霊をもって虚無的に生きることだと唐木はとらえている。
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 人の世は無常である。花は咲き、しおれ、やがてそこに花があったことさえ忘れられていく。そんな無常な世を道元はこれが当たり前なのだと正面から受け入れる。私は唐木と道元のそうした言葉を読みながら、なぜかイザヤ書の言葉を思い出していた。
   すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。
   主のいぶきがその上を吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。
   まことに民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。
   だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。
    イザヤ書 40:6-8
 人は野の草のように一時期花を咲かせるが、預言者イザヤが言うようにそれははかなく枯れて消えて行く。しかし、神を信じる人はそのことを恐れない。なぜなら、彼の持つ「私」は神に捧げているからだ。民は草で消えていくとしても、神の恵みを信じる人は、永遠の安心感に包まれていて動揺することがない。それは禅でいう無私と同じ状態ではないかと想像する。禅もキリスト教も最終的には神を立たせることで自らが退く・無私に行き着く。
 禅では悟りのことを見性という。それは自分が無の境地に立ったとき見えてくる世界である。自分が無いとは他があることである。自分が一番ではない。他者こそ一番大切というパラダイムシフトが起こるのである。
 宗教が救いを求める民の心の叫び声とすれば、救いの究極は滅私、すなわち私を消して他者を尊重することである。**の神を信じればお金が儲かるとか、病気が治るといった御利益宗教など偽物にすぎない。むしろ神を信じても貧乏になるかもしれないし、病気が悪化するかもしれない。しかし、それでもいいのだ。なぜなら神を信じ私を捨てる人は、そのことで究極的に救いを得るからだ。心からそう信じれば何事も恐ろしくはないのである。
 道元の禅は私を捨てることを説いている。そして完全に私を捨てた人が解脱して無の境地に至る。しかし、人間が生きたいと思うのは本能の働きである。禅で無になっても、たとえば何か危険な状況に巻き込まれれば、体は本能的にそれを避ける動作をする。そうした人間の本能まで無くすことは不可能だと私は思う。そうなると完全な無はいつまで経っても到達できない。いったいどこまで身心脱落、放下したら完成するのかという疑問が残る。道元が言うようにこれは一生続けなければならない。そして最後に至ってもまだ完成しない永遠の課題なのである。

唐木順三の無常はこれで終わりです。最初から読む人はこちらをどうぞ。
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# by Weltgeist | 2015-11-16 20:05

人生のはかなさ、唐木順三・無常(3) (No.2087 15/11/14)

 前回の唐木順三「無常」の続き。最初から読む人はこちらをどうぞ。
唐木順三は「無常」の中で「王朝女流文藝のはかなしの感情は、兵(つわもの)の世界、男性の感情にうつされるとき、無常観となった。・・・はかなしといふ宮廷内の女性的感情が、戦亂や動亂や、そこに起こる栄華盛衰、生者必滅の眼前の事実と、それを裏づけるために借用した仏教の無常観によって中世的な無常の文藝にうつされていった」P.298と書いている。
 王朝作家のはかなさは、無常観に変わり、そのあと至道無難禅師の「いきながら死人となりはてて、思ひのままにするわざぞよき」という禅の思想に行き着いたと前回書いた。世は無常だが嘆くのは間違いだ。無常な世は死人のように生きることで、かえって良きものとなるという逆転の思想である。しかし、死人のように生きるとは、暗いゾンビの世界を勧めているのではない。むしろ死人のごとく生きることで、人間が根本的に待つ死の恐怖を克服できるというのだ。そのことを徹底させたのが道元である。
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 禅とは自己の中核たる自我の放棄、すなわち無私、私を無にすることへの提唱である。道元は正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)随聞記第一で「貪欲なからんと思はば、先ず須く吾我を離るべきなり。吾我を離るるには、無常を観ずる、是第一の用心なり」と書いている。無常を身をもって観ることが、我れ、私を離(捨て)ることにつながるというのだ。彼の禅哲学の集大成、「正法眼蔵」では「よのすゑには、まことある道心者おほかたなし、しかあれどもしばらく心を無常にかけて、よのはかなく、人のいのちのあやうきことをわすれざるべし、われはよのはかなきことをおもふとしらざるべし。あひかまえて法をおもくして、わが身わがいのちをかろくすべし、法のためにはいのちををしまざるべし」正法眼蔵 道心 本山版 P.745 とある。
 人の世ははかなく、無常でいいのだ。むしろその無常を徹底的に無常として生きろ、命なぞ惜しむなというのである。そもそも人が死を恐れるのは「生きたい、死にたくない」という思いがあるからだ。生きることに執着するから死の恐怖がある。「生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきありのちあり、・・生すなわち不生といふ」正法眼蔵 生死、本山版 P.737 、つまり、死は生と対極にあるのではなく、生から自然に死に移行していく「ひととき」だけのことにすぎない。それを現実として受け入れれば死は怖くないのである。
 これは自分の煩悩を無くすこと、滅私、私の否定で達せられる。これが禅で言う無の境地である。だが、私が無くなれば世界は他者しか残っていない。無である私は他者でしかない。人間は煩悩によって心が曇らされている。いわば私という色眼鏡で世界を見ている。それが禅の悟りの境地に達すれば、色眼鏡のバリヤーがとれて真理の世界が見えてくるという。
 無の境地に達した人が渓流の音を聞き、山の色を見て「渓声便是広長舌、山色無非清浄身」と言ったと道元は正法眼蔵、渓声山色で書いている。谷川の音はなんと雄弁に真理を語っているか、山の色はなんと清らかであろうか。普通、山は動かず、谷川の水はせわしく流れる。しかし、自分を無にして悟りを得た人にはこれが世間の常識とは違って見えてくる。川の流れは止まり、山は流れるような驚きの姿で見えるというのだ。
 私という存在を成り立たせている自我の放棄、すなわち自己を放下する無私の提唱で自分が無くなれば世界にあるのは他者でしかない。無常を徹底させた無の境地で、逆に他者を認めることになる。そこに世界の真理が定立してくる。
 唐木のこうした説明を読みながら、私はなぜかイザヤ書で言う「民は草」という言葉を思い始めていた。しかし、長くなるので、それについては次回に続けて書きます
また、道元の正法眼蔵について、私の解釈を知りたい方はこちらをどうぞ。
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# by Weltgeist | 2015-11-14 23:51

人生のはかなさ、唐木順三・無常(2) (No.2086 15/11/08)

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 前回の唐木順三「無常」の続き。最初から読む人はこちらをどうぞ。
 さて、王朝女流文学のモチーフは人生の「はかなさ」だと唐木順三は言う。「かげろふ(蜻蛉)日記」「和泉式部日記」「紫式部日記」と続く王朝文学に出てくる「はかない」という言葉には、自分ではどうにもならない運命の重さ、人生への諦観がにじみ出ていると唐木は読んでいる。人の世はあまりにもはかない。しかし、それが日本人の人生観の根底に無常観を植え込んでいくのである。
 王朝期においては自然の変化や世のはかなさは絶対的なものであって、人間はただあきらめる(P.243)よりほかになかった。気まぐれで浮気な夫たちが戻ってくるのをひたすら待ち続け、じっと耐える貴族婦人の生活。そうやっていくうちに美しく咲き誇っていた花は萎れ、いつしか人生の終末が忍び寄ってくる。そしてどうあがいても花が萎れることを止めることはできない。抵抗は空しい試みで終わる。なすすべもなく萎れていく花のようなわが身を王朝女流作家たちは、嘆きの言葉で日記に綴るのである。
 しかし、いつまでもはかないと言って運命に翻弄されてばかりではいられない。死を避けられない宿命として受け入れた弱い人たちを乗り越える新たな世代が出てくる。死が人間の力を越えた出来事とすれば、それを逆手にとって積極的に受け入れようという強い思想だ。
 それを言ったのは吉田兼好である。兼好は「徒然草」十九段で「折節の写りかはるこそ、ものごとに哀れなれ」と書いているが、ここでいう「哀れ」は王朝女流作家のあわれではない。兼好は人の世の「一切が変化し、無常であるからこそ美しく、あはれだといふやうに、心のもち方によって無常を反ってよしとするに至る」P.243 生き方に達したと唐木は解釈している。というのも徒然草七十四段では「期する處、ただ老と死にあり。その来る事速かにして念々間に止まらず」とあるからだ。この意味は「自らを無常變化の中にあるものとして自覚し、自己の生存が、瞬間ごとに死によって切断されてゐることを自覚するとき、世界はおのづから無常の相において現れる。念々死、念々生として現れる」PP.251-252ことだと唐木は言う。
 では、無常な世を無常に生きるとはどのようなものだろうか。それは至道無難禅師の「いきながら死人となりはてて、思ひのままにするわざぞよき」という歌に端的に表れている。無難禅師はこの歌のあとに「諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅為楽、此歌のこころなり」と書き加へている(P.190)。生きながら死人となるとは、死んだように生きよということである。またもっと直接的に「いきながら死人(しびと)となりてなりはてて、おもひのままにするわざぞよき」とも歌っている。死は忌み嫌うものではない。死するがごとく生きる方が良いことになると発想を逆転させているのだ。
 至道無難禅師は臨済宗の祖といわれる白隠禅師の先輩に当たる禅僧である。はかない世の中ははかなくて良い。むしろはかなさを徹底的に生きること、死人のように生きることを提唱する禅の思想に行き着くのである。

この項、次に続きます。
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# by Weltgeist | 2015-11-10 21:56

人生のはかなさ、唐木順三・無常(1) (No.2085 15/11/06)

d0151247_22381437.jpg 古い友人、H君が亡くなったことを知らせる喪中のはがきが来た。友人は72歳、昭和42年、大学院の修士課程に入学したときたった3人しかいなかった数少ない同級生の一人だ。当時は大学院まで進む人はあまりいなかったから、3人はお互いに仲良く研究を続け、修了した後も50年近く親交を結んでいた。そんな心の友が突然逝ってしまい、全身から力が抜けていくようなショックを受けている。実はもう一人の同級生、M君はすでに10年も前に亡くなっていたので、残っているのは私だけである。
 みんなの中で一番病弱であった私が残り、丈夫だった友が先に逝ってしまったのはなぜだろうか。見渡せば同世代の友人が消え果ててもう私の周りに同じ年回りの友人はほとんど残されていない。自分だけが一人長生きすることになってしまったのだ。運命を操る神の意図は分からないが、人生のはかなさを思わざるをえない。
 人が死ぬのはこの世に生を受けたときからすでに運命づけられていて避けることはできない。しかし、そうは言っても親しき者が一人ずつフェイドアウトしていくのはたまらなく寂しい。人の命とはなんとはかないものなのだろうか。

 H君の訃報を聞いてうちひしがれているとき、唐木順三の「無常」を思い出した。「人の世はあわれ、はかない」という嘆きの言葉が中世女流文学者の多くの作品に見られ、人生の無常さがにじみ出ていると唐木は書いている。私は若かった一時期、唐木の「無常論」に強い影響を受けたことがある。友の死で、人生のはかなさを身をもって感じているいま、この本を再び取り出して、若い頃読んだ痕跡をもう一度歩いてみたい気がする。人生が無常であるとはどのようなことなのか考えてみようと思っているのだ。
 「無常」の冒頭、序文には「あわれといふ言葉が源氏物語では千と四十いくつあると数へた好事家もあるが、はかなしといふ言葉、またその類語も王朝の女流文藝作品に實に多く使はれてゐる。」「私はこの言葉の意味内容を歴史的變遷の跡をたどってみたい。そして結論を先に書いてしまへば、はかなしという言葉がふくんでゐる王朝的な心理と情緒が、王朝末から中世にかけて無常に急勾配で傾斜してゆく跡を證してみたいのである」と書いてある。
 唐木はまず道綱母が書いたとされる「かげろふ(蜻蛉)日記」から「かくありしときすぎて、世の中にいともものはかなく、とにもかくにもつかで、よにふる人ありけり」や「和泉式部日記」の「夢よりはかなき世のなかを嘆きさわびつつ明かし暮らすほどに、四月十餘日にもなりぬれば、木のした暗がりもてゆく。」という文章など、公家の女性たちが人生の無常さを嘆き、「はかない」という言葉で表していたと書いている。
 実は私は日本古典文学は得意ではない。古文を読むのも苦手だったが、唐木は中世の無常観は究極的には「禅宗の無」に行き着くと書いていた。当時禅に傾倒していた私はそれだからこの本を特別な興味を持って読んだのである。そして、本の著者・唐木順三が明治大学文学部でやっていた講座に内緒で潜り込み彼の講義を直に聴講するところにまで突き進む思いきった行動に出たのである。

以下続きます。
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# by Weltgeist | 2015-11-06 23:44

紅葉の裏磐梯観光 (No.2084 15/10/17)

 毎年紅葉見物をしているが、今年はどこへ行くか迷っていた。しかし、福島県の磐梯吾妻スカイラインをネットで見ていたら「日本の道百選にも選ばれ、春の“雪の回廊”から秋の紅葉まで、季節毎に雄大で変化に富んだ様々な景色を展開してくれる」という言葉が福島市総合観光情報ナビに載っているのをみつけた。
 磐梯吾妻スカイラインは「高湯温泉と土湯峠を結ぶ、全長約29kmの観光道路。最高標高1,622mの吾妻連峰を縫うように走る、まさに“空を走る道”。眼下には福島の街並みが広がり、作家井上靖氏が命名した「吾妻八景」に代表される景勝地が続きます」と魅力的な宣伝文句が書いてあり、それにつられて今年の紅葉は裏磐梯に決定。昨日車で行って来た。
 そして期待の紅葉はバッチリだった。標高1500mくらいある高い場所ではすでに落葉が始まり、順次冬枯れが麓の方に降りていくが、まだ途中の山は最高。この状態はあと一週間程度は続くのと思うので、今年の紅葉を見たい人は昨日の私の観光報告を参考にしていただきたい。
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 東北道二本松インターで降りて磐梯吾妻スカイラインの起点である土湯温泉を目指すとまさに紅葉の真っ盛りのシーンが目に飛び込んできた。麓の方はまだ緑で紅葉は始まっていないが、途中から全山真っ赤という素晴らしい景色が展開し、シーズンとしては最高の時のようである。遠くに吾妻山・浄土平が見えている感じも悪くない。
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 出かけたのは昨日、10月16日金曜日。スカイラインの起点である土湯までの登りでも平日だから車も少ない。こんな素晴らしい景色を独り占めできて申し訳ないようだった。
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  良さそうな場所で車を留めて下を見れば、足下まで紅葉が続いている。裏磐梯一体は針葉樹の植林された場所が少ないため、落葉樹の紅葉が360度楽しめる。どうやら福島観光課の宣伝文句は間違いなさそうだ。
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 もう少し高い場所に登って行くと季節は進んで落葉したダケカンバなどが出てくる。こんなに高い場所の紅葉を楽しみたいなら、あと二週間ほど前に来るのが良いようだ。しかし、そうなるとその下側の紅葉は始まっていない。最良のタイミング選びは微妙で難しいが、10月中旬ならどこかの高さで紅葉が見られるからハズレはないだろう。
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 ここが浄土平。磐梯吾妻スカイラインは土湯側からだとここまでしか行けない。本来は福島から登ってくる高湯までつながった観光道路だったが、現在は通行止め区間があり、高湯側からだとここまで来ることはできない。通行止めの理由は聞き漏らしたが、多分吾妻山の噴火を警戒しているのではないだろうか。なお、有料道路だが、大震災以来福島復興のために今は無料開放されている。
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 浄土平を見た後は裏磐梯の秋元湖、小野川湖、檜原湖がある裏磐梯湖沼地帯に行く。途中も素晴らしい紅葉が続くが、こちら側の方が心持ち少し早い感じを受けた。
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 小野川湖では小さな島の周りを釣り人のボートが走っていた。この湖はサクラマスが有名だが、今は何を釣っているのだろうか。紅葉はまだ始まったばかりのようだ。
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 裏磐梯観光の締めは、五色沼散策。それぞれ水の色が違う多数の沼が点在することから五色の名前がついたのだそうだ。これらの沼沼を一つずつ散策できるトレッキングルートがつくられていて、1時間強で全ルートを歩ける。我々は五色沼ビジターセンターの大きな駐車場に車を留めて、コース反対側の基点である高原駅までバスで行き、そこからビジターセンターまで林間につけられた散策路を歩いた。写真の沼は柳沼。歩き始めて二つ目の沼で、ブルーの水面に紅葉が静かに映っているところがとても神秘的だった。
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 こちらはトレッキングコースの最後にある毘沙門沼。エメラルドグリーンの水がたいへん美しい沼だった。ここまで高原駅から写真を撮りながら歩いたので1時間半かかった。すでに午後の4時を回って、太陽の光は弱い斜光となりカメラの感度を上げて撮影した。紅葉の写真を撮るなら良く晴れた日の強い太陽光の下で撮る方がきれいに撮れるが、こうした弱い光のなかで、柔らかな雰囲気に撮るのも悪くはない。
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# by Weltgeist | 2015-10-17 21:24