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ギュンター・グラスの訃報に接して (No.2063 15/04/14)

 今朝のニュースで、ドイツのノーベル賞受賞作家、ギュンター・グラス Günter Grass が亡くなった訃報を伝えていた。1927年、旧ドイツ領、ダンチッヒ(現ポーランド領グダニスク)生まれ。その彼が昨日(13日)ドイツ北部のリューベックで亡くなった。87歳だったという。言うまでもなくドイツ文学というジャンルを越えた世界的な作家である。私も一番好きな小説家の一人で、このブログでも何度か彼の作品を取り上げている
 彼のデビュー作であり最初の長編小説となった「ブリキの太鼓」が発表されたのは1959年。その内容の面白さからグラスはドイツでたちまち有名作家になっていく。私がブリキの太鼓を読んだのは、日本語の翻訳が出たばかりの1960年代前半だった。ドイツでは新進気鋭の作家として評判だと言われても、日本ではまだ無名。翻訳は読み切るのに覚悟がいるほど分厚い本だった。しかし、読み始めて今までの小説の概念をぶち壊すような内容に衝撃を受け、圧倒された。私はブリキの太鼓に得体の知れないインパクトを受けて、グラスの不思議な世界に興味を抱く愛読者となってしまったのである。
 ブリキの太鼓の主人公オスカルは、母親の胎内にいるときから人間の言葉が理解できる不思議な能力を持った子供である。彼は父親が胎の児が大きくなったら自分の店の仕事を継がせようと話していることを、母親の胎内で聞いて「俺はオヤジの言うとおりにはならないぞ」と反発する。彼は生まれても三歳より大きくはならない決意をするのである。しかし、なぜ三歳までで成長を止めるかというと、このとき父親が「赤ん坊が三歳になったらブリキの太鼓を買ってやろう」と言っていたからだ。
 普通子供の記憶はせいぜい四歳くらいからで、まともに自分の人生を決定できる判断力などずっと大きくなってからのことである。ところがオスカルは母親の胎内にいる時点ですでに大人の理解力を持ち、三歳になったところで、階段からわざと転げ落ちることでそれ以上成長できないよう画策するのである。こうして永遠の三歳児のまま世界に出ていくが、その場所はナチスが次第に台頭して戦争に向かう不安な世界であった。
 オスカルは理不尽で欺瞞に満ちたグロテスクな社会にブリキの太鼓をたたく三歳児の目で対峙していくのである。彼には声を張り上げるとガラスが割れてしまう不思議な力が授かっていた。ものすごい金切り声でガラスを共振させて割ってしまう特殊能力は次第に洗練されて、最後は声の調子でガラスを思うとおりにカットできるまでになる。
 このように三歳で永遠に成長することを自らの意志で決めたオスカルだが、彼をとりまく世界は止まることなく激しく変動していく。自国が起こした世界大戦とその敗北。祖国であった国境線は書き直されて、ダンチッヒはポーランド領に変わる。オスカルの母国であったナチスドイツは崩壊し、混乱のなか価値観の転換があらゆる分野で起こる。そうしたことがオスカル「少年」の前に次々と出現してくるのである。
 グラスが後で告白したように、彼自身が戦前はナチス親衛隊(SS、Schutzstaffel)の隊員であった。ヒットラーの言うがままにユダヤ人を抹殺し、世界戦争へと突入させたドイツ人たち。彼らの複雑に屈折した世界をグラスは贖罪の意味も含めて、三歳児の特別な目で描いているのである。
 ユダヤ人のエドワルドとナチ親衛隊に入ったワルターとの屈折した友情を描いた犬の年でも、グラスは時代に翻弄され傷ついた人々の複雑な人生を描いている。おぞましく醜悪な世界を彼独特のタッチで書いたブリキの太鼓。時代に流されつつそれに鋭い切り込みを入れた巨匠の死に深い哀悼の意を表したい。
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ギュンター・グラスの写真は本日のニューヨークタイムスの記事 "Günter Grass, Writer Who Pried Open Germany’s Past but Hid His Own, Dies at 87" よりDLしました。
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by Weltgeist | 2015-04-14 23:58

日本のオークションってちょっと違うかな (No.2062 15/04/13)

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 私のようにすでに人生の最盛期を過ぎたポンコツ人間になると、これまで買い込んできた「お宝」がガラクタと化して困り始めてくる。現役時代に後先考えずに買った絵など私が死んでしまえばゴミとして処分されかねない。それなら生きている間にこれらを有効活用する方がずっといい。それで我が家の絵をオークションにかけられないかという下心を持って、東京有明にある「毎日オークション」の競り風景を見学してきた。
 といってもオークションハウスに一見の客が入るのはむずかしい。しかし、今回はここで何枚も絵を買っている友人の*氏に頼んで、毎日オークションに連れて行ってもらったのである。
 オークションで競りに参加したいなら、前日まで行われたプレビュー(下見)で作品の状態を確認しておく必要がある。競りが始まるとスクリーンに写真が出るだけで現物を確認することが難しいからだ。そして、「このくらいまでなら買っても良いかな」というだいたいの落札予想価格を頭に入れて当日に臨む。しかし、偵察に来ただけで買う気のない私はプレビューもしていなければパドル(番号札)の登録もしていない。単なる友人の同伴者としての見学参加である。
 競りは11時にスタートしたが、最初はエスティメート(予想落札価格)も付けられないほど安い「成り行き」の版画から始まった。10年ほど前「米国で脚光を浴びている新進気鋭の画家だから、絶対今買っておいた方がいい」というキャッチセールスで売りまくったシルクスクリーンの「傑作? 」が、数万円で次々と落札されていいく。かって百万円近い大金を出して買わされた若者たちには気の毒なくらいの現実が展開していく。
 そして驚くのは競りのスピードだ。一点がほぼ15秒くらいで落札されていく。今回出された作品は全部で990点ある。これを11時から夕方までに競り落とさなければならないのだ。平均すると1時間に150点ほど競るのだそうで、脇の電光掲示板には、2万円、5万円と日本円の入札金額が出るのと連動して、ドル、ユーロ、韓国ウオン、中国元の金額が瞬時に出る。しかし、オークショナーが言う言葉があまりに早すぎて電光掲示板が常に遅れがちになるほどのスピードである。
 私はこれまでロンドン、アムステルダム、ニューヨーク、香港でクリスティーズやサザビーズのオークションに出ているが、こんな早さで競りを進めるのは初めてである。そもそもクリスティーズもサザビーズも一日の競りは多くてもせいぜい3百点くらいで、かなり余裕を持って進める。だから落札したいけどどうしようかな、と考える時間的な余裕があるのだが、今回はそれが全くない。あっと言う間にハンマーが落とされてしまう。買いたい作品があったら、前もって自分が出せる金額の上限を決めておき、瞬時にパドルをあげないと落とすことができないのだ。
 日本のオークションは独自の発展をしたのだろうが、私の感想を言わせてもらえば何かマグロの競りでもやっているような感じで、優れた画家たちの作品が有無を言わさず流れ作業的に処理されていくことに少しショックを受けた。銀座の画廊やデパートで売られる有名画家の作品でも「エッ、こんなに安いの」と思うほどの落札価格に、これが現実なのかもしれないと思わされた一日であった。
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by Weltgeist | 2015-04-13 23:58

千曲川・あんずの里と鯉料理、その2 (No.2061 15/04/08)

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 長野県千曲市更埴のあんずの里を訪ねたあとは、上信越道を少し戻って佐久市の有名な鯉料理を食べに行った。花より団子派の私は、杏の花見は正直なところたいしてウエイトを置いていない。カミさんたち女性軍は花を見るのが一番だろうが、私は食の方が楽しみなのである。
 昨年、佐久を旅行したとき「鯉はうまい食べ物だ」と常々力説していた釣友K氏の言葉を思い出して鯉を初めて食べて、そのおいしさに驚いてしまった。いままで何度も川で鯉を釣ったことがあるがこんなにうまいとは知らないから、いつもリリースしていた。
 あのおいしかった鯉をもう一度賞味したいと、今回は鯉情報を教えてくれたK氏夫妻とあんずの里訪問の後、遅めの昼食に佐久の鯉を食べる二本立てで行ってきたのである。
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 午前中あんずの里で花見をした後、午後1時過ぎに更埴を出て、佐久市野沢地区には3時少し前に着いた。本当は2時から4時までは休憩時間なのだが、k氏が電話で頼み込んで特別お店を開けてもらったものである。
 この付近には有名な鯉料理のお店がいくつかあるが、どのお店も意外に場所が分かりにくい。今回はこれまで4回もわざわざ鯉を食べに来たという鯉の通であるk氏のガイドで、鯉割烹料理花月に迷うことなく到着。
 彼によれば花月の隣には「ぴんころ地蔵」というのがあり、道が分からなければここを目指せば分かりやすいという。佐久地方は日本でも有数の長寿の里として知られている。長生きしてピンピン、コロリといきたい人はこの地蔵様に祈願するらしい。もっともそんな効能を信じない罰当たりの私には単なる石仏でしかないのだが、毎月第二土曜日には参道に仲見世風の店が並ぶ山門市が開催され、長生きを望む人が沢山やってくるらしい。
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 花月の鯉料理は雪、松、竹の三段階があり、我々は夫婦でそれぞれ松(3500円)と竹(2700円)を一つずつシェアーして頼んだら、最初に出て来たのがこれ。手前にあるのは鯉の鱗を揚げた「鯉煎餅」。そもそも魚の鱗は食べられないはずだが、鯉は別物らしい。ゼラチン質の鱗を素揚げして塩だけで食べる。酒のおつまみに良さそうな変わった味だ。その左上は南蛮漬け。真ん中にあるのが秀逸で、肝の一夜漬け。鯉の肝を細かく切って、多分醤油か何かに一晩漬けたものだろう。不思議な味で、抜群においしかった。
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 次に出て来たのがハヤの唐揚げ。渓流釣りでは最低の外道で、これが釣れてくると、「ちくしょう、またハヤだよ」と言って忌み嫌われる魚だが、そのことを女将に言ったら「お客さんたちは料理の仕方を知らないんでしょう。うちのハヤはわざわざ食用に養殖している」と言われてしまった。そして、女将が言うだけあってこれがまたおいしいのだ。ハヤってこんなにうまい魚になるとは全然知らなかった。
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 次が鯉の定番である「洗い」。ここでは山葵醤油で食べる。もちろんおいしいけれど、スズキやコチの洗いと同じようでちょっと個性がない感じを受けた。個人的には酢味噌で食べて見たかった。
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 そしてメインの鯉の旨煮(下)と鯉こく(右上)が出てようやくコースの料理が出そろった。とくに胴体をぶつ切りにして甘く煮込んだ旨煮は、最高の味。内臓まで柔らかくて口に入れるととろけるようだ。コラーゲンたっぷりの皮も魚とは思えないほどのうまさがある。鯉こくは味噌汁(? )にぶつ切りの鯉を入れたもので、同行したK氏は鯉料理の中でもとくにおいしいと言っていたが、私は、もうここまで食べて腹がパンクしそうに膨らんでしまい、K氏がいうほど鯉こくの良さを味わうことができなかった。
 いずれにしても、お店を出るときには「食った、食った」の大満足状態で、このあと、鯉料理にこだわるK氏について魚甲というお店に行き、お土産用の鯉の甘露煮などを買って、帰路についた。
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by Weltgeist | 2015-04-08 23:01

千曲川・あんずの里と鯉料理、その1 (No.2060 15/04/07)

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 各地の桜が続々と満開になり花見が盛んに行われているようだ。日本の国花である桜は、今の時期どこへ行っても白いきれいな花が咲き誇っている。しかし、72歳になるまで毎年桜を見続けていると、もう十分堪能したという気持ちも正直ある。飽きたわけではないが、たまには別な花も見たくもなるのだ。
 この時期の「別な花」としては杏(あんず)がある。長野県千曲市更埴には杏の花が咲く「あんずの里」という場所があってきれいらしい。我が奥方は独身時代の40数年前にあんずの里を訪れたことのある。そのときの印象が良かったのか、「あんずの里は花が咲き乱れる桃源郷。もう一度行って見たい」と言い続けていた。
 「花より団子」の無粋な私は、いつも「釣りだ、チョウチョ採りだ」と好き勝手なことをやってきていたが、たまには奥方のご機嫌取りもやる必要がある。今後もスムースに釣りやチョウチョ採りに行けるための家庭サービスとして昨日、奥方推奨の「あんずの里」に行って、桜とはひと味違う杏の花見をしてきた。
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 上信越自動車道更埴インターを経て、あんずの里まで3時間で着いた。途中、小雨も降ったが、着いたときにはほとんど止んでいて見学するには問題ない。インターネットでチェックしたら、満開は4月9日頃とあり少し早いかなと思ったが、それでも杏の花は7分咲きくらいでちょうど見頃であった。
 ただ、私は杏の花をじっくり見るのは今回が初めてなので「あんずの里」がどのようになっているのか想像つかないでいた。ナビで「あんずの里」と指し示す場所に着いても、民家の庭先に杏の花らしきものが少し咲いているだけで、「どこにあんずの里はあるんだ? 」ととまどうほど普通の田舎町である。しかし、所々ににわか仕立ての「有料駐車場」の看板があるから、どうやらここがあんずの里であることは間違いなさそうだ。心配はご無用。そこから少し歩くと、観光客も現れ、次第に杏の花が見えてきたのである。
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 杏は桜のような大木ではなく一本一本が背の低い小さな木である。果樹として杏の実を獲るために畑で育てているから低く剪定されていて、公園に植えられた桜のような上に覆い被さる迫力がない。大木に花一杯の桜とは違う、清楚な感じが杏の花の魅力なのだろう。
 のどかな田園風景での花の感じは桜見物とは違った、いかにも春の風情ある花見が楽しめた。心配していた雨にもあわず、日本の春の原風景を見たような一日だった。
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 このあと佐久で鯉料理を堪能したのだが、これはネックスト。明日続きとして書きます。

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by Weltgeist | 2015-04-07 17:14

それで良い (No.2059 15/04/04)

 80歳で生涯を閉じたカントの辞世の言葉は「それで良い=Es ist gut. 」であったという。天才的な頭脳の持ち主であったカントも最後はアルツになって、訪ねて来た人が誰であったか分からなくなったらしい。しかし、それでも最後は「エス・イスト・グート=それで良いのだ」と言って人生を全うした。自分もこれからの人生をそんな風に生き抜いていければいいなぁ、と考えている。
 人間は生きている限り常に未完で「まだ無い=ノッホ・ニヒト」という状態がつきまとうとハイデガーは言っている。まだ無いとは未来のことであるがその究極は死、すなわち無(ニヒト)である。人間はまだ無い未来を自らの死によって完結させるのである。すべての可能性が閉じられることで、初めてその人の全人生が完成する。人間とは無から生まれて無に帰っていくほんのひとときの存在なのである。
 人が死ぬ間際は誰も大差がない。行き着く先は同じ。猛烈に苦しい状況下で死ぬ人も、親しい人に囲まれて穏やかに人生を閉じて行く人も、貧乏人として辛い人生を送った人であっても、優雅な大富豪であっても有無を言わさずあの世に送り込まれてしまう。
 しかし、ほんの短い時間だけでもこの世に存在し、何事かをなした、それだけで良いのだ。最後の幕引きのとき人生を総括して「それでいい」と言えるなら、彼がこの世から何事かを得たということである。人の命は野に咲く花のようである。人も花も鳥も虫も、あらゆる生きものが、ほんのひとときだけこの世を謳歌し、そのあと誰もが静かに消え去って、すぐに忘れられていくのである。
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すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。
主のいぶきがその上を吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。
まことに民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。
だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。
イザヤ書 40:6-8

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by Weltgeist | 2015-04-04 22:40